あった場合は訂正されねばならぬと思います。
あった場合は訂正されねばならぬと思います。
明らかに誤っておる場合には、その誤りを指摘しながら改正をすみやかにやる努力をする権限、責任も教師にあると思います。誤ったものを誤ったと知らずに教えたことありせば、この前のご質問になりますが、それは教師の責任にあらずして、指導要領なり検定教科書の検定をした文部大臣に責任がある、そういう関係だろうと思います。
お答えをします前に、教育基本法第十条の教育行政の項に、教育は国民全体に対し直接に責任を負っている云々とあることを、教師が直接国民に責任を負うという意味合いに御解釈のように拝聴いたしましたが、私はそういうことでなしに、これは民主政治、民三主義のもとでございますから、教師は公務員である場合は、公務員として全体に対する奉仕者であるという意味合いから、前のくだりを受けまして、一部の勢力に支配されちゃいかぬ、国民全体に奉仕する立場でなきゃならぬ。そのことは主権者たる国民の意思として定まる法律に従って教育がなされねばならないという意味で、教師といわず、教育に携わる公務員ことごとくそういうことで教育行政、教育活動をなさねばならぬ、こういうことだと
国民全体に対して直接に責任を負うというのは法令に従って行動するということと同義語だと思います。法令によって禁止されておることはやっちゃならないし、法令によって認められておることは責任があるし、権限があるという立場に立って、一部の不当な勢力に属することなく国民全体に対して責任を負うという立場に立つものだと、さらに言いかえれば、今申し上げたように、そのことは法律制度に従って行なう、積極、消極両面とも法律制度に従って行なうという意味で国民に責任を負うと、そういう趣旨だと思います。
私はそうは理解いたしません。今、行政機関の例で、福田局長が文部大臣に責任を負うようなことのお話でしたが、組織内において、文部大臣に責任を負うという相互関係はあるかもしれません。命令、服従という関係のある範囲内において。ところがそのことを、それ自体、行政組織法なり、文部省設置法なり、組織命令なりということによって定まっているから、そういう関係に立つという意味において法令を通じて国民に責任を負っている姿だと思うのであります。この十条でいいますことは、学校の先生に限って、そういう法令とはかかわりなく、直接国民に責任を負うといってみたところで負いようがない。すべて法令の定める内容において責任を負うという関係が出てくる。そのことを先ほど来申し
今おっしゃるとおり、政府答弁そのものを、私は速記録を見ていないのでその点はいかがかと思いますけれども、第十条は教育行政全般について規定しておる条文だと思います。「教育は、」ということは、今もおっしゃるように、教師のことだけをいっているのでないこともきわめて明瞭であります。「不当な支配に服することなく、」というのは、民三憲法下、法治主義日本において不当な支配に服するなんということは、それ自体憲法違反であり、法律違反であることは明らかですけれども、あえてこれをそう書きましたゆえんのものは、民主政治と戦前の天皇政治のもとにおいて現実に行なわれたところのもろもろの弊害等を考えあわせて、特に注意的な趣旨であろうかと思いますが、前段もあると思う
旧憲法時代のことをわれわれが引例しますことを、帝国憲法時代だから誤りがあったといったようにおとりになっておるとすれば、私の真意ではございません。帝国憲法時代は旧帝国憲法のもとに秩序があった。ただ、その場合に、俗にいわれますように、袞龍の袖に隠れるというようなことがなかったかといえば、あったとされておる。そのことは、旧帝国憲法のもとにおいても、制度の逸脱であるということは誤りとしてあると思います。そういう意味において申し上げると同時に、主権在民でなかったのに、今度は主権在民になったという角度から、新たなものが、念を押してでも考えられ、指摘されねばならないという性格が、憲法にも、その他の法律にも随所に出てくるゆえんもそこにあるという考え
「不当な支配」というのは、法律上の権限のないものが支配を及ぼすことだと、どれこれといって、だれがどうしようとも、法律違反の越権行為は許さぬ、こういうことだと思います。
「官僚」というのは、新憲法下の公務員という意味であれば、公務員が不当な干渉をする、法律違反の干渉をするということは許されぬ、そういう意味における干渉に服するということなど、もってのほかである。あるいは一部の政党、これに服してもいかぬ、影響力を及ぼされちゃいかぬ。これは第十条に明記しているところでありますが、私ども日教組その他の外部勢力、そういうものに、法律に基づいて、合法的でない勢力の影響下にあらしめてはならない、こういうことだと思います。
さっきのお答え、ちょっと脱線しておりました。その「従来」という前提があることをつい念頭になしに申し上げたものですから。御質問の「その他」の中にその当時日教組があったとは思われません。その意味で今おっしゃる意味で申し上げれば、これまたさっきお答えしましたように、どれに力点ということはないと思います。いやしくも民主憲法下、法治国において不当な支配を及ぼすものは、いかなるものといえども許さるべきでないという趣旨のことを言い、それが戦前、帝国憲法下におきましては、先ほどちょっと触れましたように、帝国憲法は帝国憲法なりの秩序がそれ自身あったと思いますが、その秩序に従わずして越権行為をしたことなしとしないその例示的な課題として、今読み上げられた
現実のそういうことがあったとしまして、それぞれが何についてどの程度どうしたかということについては存じませんので、その意味においては裏づけのある甲乙をつける意味のお答えは困難でございます。不当な支配である限りにおいては同様に今後も断じて避けられるべきものだ、こう理解する。そのまた気持を政府委員は申し上げたのだろうと、こう想像いたします。
第十条の解釈は先刻申し上げたように思います。直接全国民に責任を負わなければならないということは、教師に限らず、文部大臣に限らず、文部官僚に限らず、教育委員、教育長といえども、教育行政を担当する者は、すべて一部の考に支配されちゃならぬ、不当な支配に屈服してはならぬ、全国民に責任を持って行なう、こういうことでなければならぬということだと思うのでございまして、全国民に責任を負うということは、主権者たる国民の意思に従って定められた法律制度に従って行なうということ、責任を負わねばならぬときに具体的にどうして現われるかとならば、国会を通じて主権者たる国民に責任を負わねばならぬという関係に立つ、そういう考え方、やり方で教育というものは行なわるべき
先ほどお答えしたとおりに解釈するのが正しいと私は存じます。今、豊瀬さんも御指摘のように、先刻私も触れましたが、不当な支配に服することなくなどということは、憲法下におきまして、法治国日本において言わずもがなのことだと思います。それをあえて教育基本法が繰り返し注意的宣言とおぼしきことを掲げたゆえんのものは、豊瀬さんも言われ、小林さんも指摘されましたが、私もそう思いますが、帝国憲法のもとに、申すまでもなく御承知のように、教育行政に関しては法律というものはなかったと私は記憶いたします。翼賛機関であった帝国議会そのものが、今の国会とはむろん違いますけれども、それにいたしましても、立憲君主制の建前において国民から選ばれた、当時は臣民から選ばれた
教育基本法自体が特定の宗教教育をやっちゃいけないということは明記しておりますから、先刻例示されましたような特定の宗教の宣伝になるような徳目を、たとえば道徳教育の指導要領に掲げてそれを教えることを要求するということは、それ自体が憲法違反であり、教育基本法違反でもあるということは明瞭であります。そうでなくて、道徳教育につきまして申しますならば、客観妥当性のある、憲法にも違反しない、教育基本法にも違反しない、その他の法律にも違反しない、しかも、その趣旨に従ったものが教えられることは必要であると思います。学習指導要領そのものが、かりに部分的に間違っておることがあるならば、その間違いは正すべき責任が文部省にあることは当然であり、そのこと自体を
憲法、教育基本法、学校教育法等の憲法以下の法令に違反したことは、学習指導要領でも定むべきではない、こう思います。
何でも定めてよろしいか、そういうことではないという御意見を含めての御質問であったと思いましたから、何でもよろしいと心得ているわけではない。憲法、教育基本法、学校教育法その他主権者たる国民の意思で定められた制度、法令に逸脱すべからず、こう心得ておりますと申し上げたわけであります。今例示されました、いかなる徳目が教えられるべきかいなかということすらも、それ自体が教育行政機関がなすべきことではないという仰せですけれども、私はそう理解いたしません。それは学校教育法二十条、二十一条で明記しておることであり、特に義務教育の場においては親の手元から切り離して一定時間を教育の場で薫育するという制度であります。そして教師が教育をつかさどる立場で教え、
私はよろしいと思います。
毎度申し上げておりますように、学校教育法二十条ないしは二十一条もそれに関連してくるかと思います。
学校では価値観についても教えられるべきものと思います。教師が教育をつかさどるという立場で教える内容だと思います。ただ義務教育と後期中等教育に関しましては、大学ではないのですから、未成年者であり、がんぜない子供だから、特に義務教育においては、義務として制度づけられておる。その場合における教師が教えるべき内容として、価値観のことも必要である限りにおいては、全国のことごとく憲法の趣旨に従った同じ価値観が与えられるべきだと思います。その場合に、個々の教師が価値観を教えるということが本質的にあるといたしましても、個人的な主観に基づいた教え方は、義務教育の場合は許されないという考え方に立つことが、学校教育法第二十条が予定していることだと思うので
文部大臣が内閣に対しての責任は何だというお尋ねに、どうもすぐさま明確なお答え困難なような気もいたしますが、各省大臣、国務大臣は、内閣を組織して閣議を経て政府の態度をきむべき事柄についてあずかり、その範囲において、内閣との相互関係における責任があると思います。