法案の提案権は政府側にもありますが、議員提案が、憲法の趣旨から言えば、むしろ本則だというくらいの気持が盛られておると思います。提案者が政府であれ、議員であれ、いやしくも法律となりました以上は、それに甲乙の差があろうはずはないと思います。
法案の提案権は政府側にもありますが、議員提案が、憲法の趣旨から言えば、むしろ本則だというくらいの気持が盛られておると思います。提案者が政府であれ、議員であれ、いやしくも法律となりました以上は、それに甲乙の差があろうはずはないと思います。
法律の趣旨を暢達するために必要な措置を何らかの方法で講ぜねばならないが、考えはどうだという御質問の要旨かと思いますが、先刻来、政府委員から申し上げておるとおりでございます。いやしくも法律が制定された以上、それが法律の趣旨に沿うように、実現可能なように持っていくことは当然考慮されねばならないことだと思います。
このたび政府から提出いたしました義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律案の提案理由及びその概要について御説明申し上げます。 さきに第四十回国会において義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律が制定され、義務教育諸学校の教科用図書はこれを無償とするとの方針が確立されるとともに、その具体的措置は、文部省に置かれる無償制度調査会に諮って別に法律をもって定めることとされたのであります。 政府はここに、調査会の答申の趣旨を十分尊重して、義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律案を用意いたしたのであります。この法律案は、無償措置の実施に必要な基本的事項を規定するとともに、この措置の円滑な実施に資するため、教科書の採
御指摘のとおり、教科書を通じて義務教育が行なわれるおけでございますが、その教科書が憲法、教育基本法ないしは学校教育法その他の法令に基づいて忠実に製造、発行され、供給され、それを中心にして教育が行なわれる。そのためのよき教科書が生まれ出ることを期待しながら私どもとして対処せねばならぬことは御指摘のとおりでありまして、その意味において考えましても、御提案申したこの法律によって、その考え方なり方向がよりよき方向に行くものと存じます。
現在あります教科書会社は、新しいこの法律が制定されまして成立しました後においても、この法案で規定しております指定会社になるわけでございます。現実にその点についての変化はございません。将来新たに教科書発行会社になろうとする会社は、これは新たに指定を受けなければなりませんが、それにつきましては、一定の条件を具備したものを指定するということになるわけでございますが、これらのことは、本来、有償無償を問わず、教科書、特に義務教育課程の教科書を製造供給するということ、それ自体が非常に公益性が高いという見地からして、現在も発行の指定をするという制度がございますが、それでは必ずしも十分ではない。もっと安全かつ確実に提供されるというその責めを果たすた
よい教科書が生まれ出る条件とおっしゃいますが、それは教科書会社が不特定多数あって競争をする。少なくとも不特定多数が生まれ出る制度のもとに競争をしながら、内容についても体裁についても、価格等につきましても、合理性を追及しながら、よりよきものが生まれるという期待があると思います。その点は従来と条件は変わらないと思います。さらに、検定制度が従来ございますが、検定を通じてよりよい教科書を生み出す努力を、文部省としてもむろんしなければならぬという考え方で今日きておるわけでございますが、その基本は、先刻も申しましたように、学習指導要領に根拠をおいて検定が行なわれる、これも今までの制度と同じでございます。したがいまして、今度のこの無償措置に関する
その点は、第四十国会において御審議いただきました無償に関する法律の提案理由についても、質疑応答を通じても申し上げたことでありますが、御指摘のとおり、憲法が、「義務教育は、これを無償とする。」という一つの理想を掲げておると思いますが、それが今までは現実には、教育基本法に明記しております授業料を徴収しないということであるということにとどまっておったわけであります。けれども、憲法は単に授業料のことだけを規定しておるのでないというのが通説のようにも承知をいたしております。すなわち換言しますれば、憲法のいうところの「義務教育は、これを無償とする。」という理想を幾らかでも前進せしめるという趣旨の実現である、かように考えておるわけであります。
お話のとおり、憲法第三章が国民の権利義務という趣旨で規定をいたしておる意味で、国民の権利であることは言わずもがなと思います。恩恵という言葉がございましたが、民主憲法のもとにおいて、恩恵という概念は本来あり得ないものだと私は思います。主権者たる国民の憲法であり、主権者たる国民のためのその憲法の規定である。しかも、第三章は国民の権利義務を規定しておる。あえて疑う余地は一つもない。その点については私は、そう理解します。ただ、憲法のいうところの「義務教育は、これを無償とする。」ということ、そのことが、一つの理想を掲げておるということは、文部省がどうだということでなしに、これまた憲法解釈上当然言い得ることである、かように考えるのであります。憲
憲法は、私は憲法の規定そのままが現実となる部分と、理想を掲げておると言わざるを得ない部分とあると思います。天皇制のもとに天皇の御威光をかさに着て行政をやるというわけではないわけですから、文部省が、あるいは文部大臣の立場におる者が、今おっしゃるようなこのものの考え方を持とうと思っても持てないという大前提において、民主政治が日本では現在行なわれていると思うのであります。義務教育はこれを無償とするということは、憲法が掲げる一つの理想であると申し上げることは、恩恵的な気持とか、あるいは主権者たる国民の上に、あるいは国民以外に第三者的に存在してかれこれ申し上げるなどという意図があるわけでもなし、あったってできることではない。こういう理解の上に
お答え申し上げますが、その前に、私が先刻お答えしたことが危険であるという御批判でございますが、さっき申し上げたような考えでないならば危険だと私は思います。憲法がそのままで国民生活の現実になるわけのものでなくて、それを現実にすべき過程においては立法措置を講ずべきものは講ずるというやり方で初めて憲法の規定が現実に足が地につく姿になる。そのことが憲法上約束づけられているがゆえに、国会というものも存在しており、また政府も存在しておる。それが主権者の意思であり、そのことを素直に受け取って、先刻お答えしたような営みをするところに行政府の責任が果たされる姿がある、こう理解するのであります。法律という形で現実に足を地につける手段なくして、ただ憲法に
その点は、一番最初に申し上げたことに関連しますが、憲法は憲法の規定そのままで国民の現実生活それ自身が憲法によって保障されることにつながるものと、法律という形で憲法の掲げる理想を現実化することなくんば実生活につながらざる課題とある。それを一緒くたにして憲法に書いてあるから、直ちにそれが勝手気ままにやれるのだということを考えることにむしろ危険を感ずるという意味で申し上げたのであります。(「それならなおおかしい」と呼ぶ者あり)あえてそれを申し上げるゆえんのものは、よく悪法は法にあらずという手合いがおりますが、主観的な、自分が悪法と思うがゆえに従わないでよろしいということほど危険なことはない。かりに主観的に悪法と感じた者がありましても、それ
教育に直接携わっておる方々ももちろんでございますが、教科書発行を現にやっておる人、これまたひとつの候補者として考えられるべき要素でもございましょうし、かつまた、経済、財政面、あるいはジャーナリスト方面というものも、世間的には一応、国民のある層を代表するような立場の人と理解されるわけでございますが、そういう意味で、今お説のような気持を体しながら人選をしたつもりではおるわけでございます。
おっしゃるような考え方であるんだということだけは申し上げられると思います。ただ、人選そのものが、絶対的に大丈夫だと言い得るかどうかということにつきましては、謙抑に「つもり」と申し上げたわけでございます。そこで、現実に教育の現場で体験をしておられる方々の代表というか、それは小中学校の校長協会の代表者をメンバーとして入れております。組合代表者は入れておりません。それは、組合というのは教育の実体そのものに直接タッチする団体ではない。法律に規定されておりますがごとく、給与、勤務時間等の勤務条件の維持、改善についての団結を許された団体でございますから、組合代表者というのは、こういう場合に特に選んで発言を求めねばならない団体ではない、こういう理
お話のとおり、教育者がメンバーとなっておるのが組合である、地域の教員組合であり、日教組である、それはもうお説のとおりでございます。しかし、それは教育者という立場において集団があるというのじゃなしに、教育者たる人々が、自分たちの福祉増進のために団結することが許されておる、その集団の存在意義は、憲法の二十八条に源を発する課題であろうかと理解するのでございまして、したがって、それはあくまでも法律に明記しております集団の目的を持った組合であって、教育者それ自体の集団ではないと、これが私は正しい理解だと思うのであります。したがって、仰せのごとく、組合員ではあっても教育者であることには間違いはない、したがって、教育者の立場における意思表示という
学識経験者の一人であるということを否定するわけにいかぬと思います。それは。しかし、そういう見地で考えるといたしましても、組合の代表者という人の学識経験性と、さっき申し上げた学校長、それは当然学校内における教諭諸君の考えなり何なりを当然反映するという前提においてでありますけれども、あくまでもそれは教育プロパーの課題について反映するであろうところの学校長、それが全国組織も持っておりますので、その会長に選ばれた人を学識経験者として選んだほうがまともな線から考えられた学識経験者であろう、それで十分であろうということでお答えするほかにないと思うのであります。組合の代表者なるがゆえに当然にこういう審議会の委員にならねばならぬという課題ではないと
今回、政府から提出いたしました公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律及び市町村立学校職員給与負担法の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。 現行の標準法は、昭和三十三年に制定され、同法のもとで、翌三十四年からの五カ年計画により、公立義務教育諸学校のいわゆるすし詰め学級の解消を進めてまいりましたが、昭和三十八年度においてこの五カ年計画は完了し、すし詰学級は、一応の解消を見たのであります。今後は、その成果を基盤とし、教育効果のより一そうの向上を目ざして、義務教育の充実を進める必要があります。このためには、昭和三十九年度以降における学級編制の標準について新たな目標を示
この点につきましては、いま御指摘のとおりの趣旨だと申し上げてよろしいかと思うのであります。 元来、ひとしく公務員の中でも教職にある公務員につきまして、国家的、社会的立場でいかにこれを評価するかという課題は、戦前からの問題でもございますし、戦後において特に重視さるべき課題であったにかかわらず、十分な検討がなされないままに今日に来ておるとも言い得ると思うのであります。いつかも申し上げたことがございますが、むろん戦前との比較だけがすべてではございませんけれども、いまもお話に出ましたように、いわゆる人づくり、大事な児童生徒、学生等の青少年を育成していく教職員は、他の公務員よりも違った評価でもって考えられるべき本質を持っておろうかと思うの
ただいま御指摘のような反論といいますか、反対的なムードがあることを私も承知しております。それはマスコミを通じてもうかがえますし、それぞれの団体からの意思表示という形をとっておるものも御指摘のとおりにあるようであります。ところでそれらの御意見は御意見として御自由ではありますが、本来国立大学の一部の人を当面認証官という手続によって任命しようという考え方そのことは、先刻申し上げましたとおりの根拠に基づいて考えられた案であることには間違いないのでございます。大学管理の問題とからみ合わしてよく言われるようでございますが、事柄は大学管理について中教審の答申が出るずっと以前から、具体的に申せば一昨年の春早々から文部省としては検討し始めたことでござ
まず第一に、七大学を認証官制度の対象とし、その中で東京と京都をまた給与の面からいきますと差をつけておる案になっておるわけでございますことは、御指摘のとおりであります。学校教育法のたてまえからいきまして、大学というのは国立大学だけを一応とりまして七十二あるとされますが、すべてこれ大学であることには制度上何らの相違はないということであることは、申し上げるまでもございません。その中から七つだけをなぜ取り出したかということでございますが、これは一つの方法論であると申し上げるべきでございましょう。一番典型的な身近な一般職の他の認証官制度の例を一応念頭に置いて、具体案を考えざるを得なかったわけでありますが、それは検事の認証官制度のことでございま
お答えします前に、いま認証官の数を一般的にお答え申し上げたわけでございますが、申すまでもなく大公使、裁判官等は、これは特別職でございます。一般職としますと、検事が一番数が多いところの、唯一ではないと思いますけれども、ほとんど他は特別職。特別職と一般職ということで、この問題についても考え方に差異があろうかと思うわけでございます。七十二の全権大使——数からいえばちょうど国立大学と同じだということでございますが、これは国を代表して外国に使いする者ということで、給与の問題は別にいたしまして、特に任命形式を認証官としておるという趣旨だと承知いたしておりますが、そのことはお尋ね以外のことでございますのでこれ以上申し上げませんけれども、その一般職