その点は御指摘のとおりに、私どもも理解いたしております。七大学がたまたま昔の帝大だということであるわけですが、それは戦前の制度上の重点の置き方にもよったかもしれませんけれども、人文、社会、自然の各学問の分野について、ことごとく学部があり博士課程があるということは、明治以来の何十年もの年々歳々の経費を注入したことにもよりましょうし、また大学人の努力の成果が積み重なってそこまで到達しておる姿だと思うのであります。そのことが、量的にとらえればちょっと変でございますけれども、量と質をあわせ考えて、その上に、大学の学長として責任を持つという立場の人、すなわち学長、その職責というものが重大であると理解されるゆえんのものは、量と質と両面であろうか
