がんぜない子供がだんだんと一人前になる過程において、九年間は親の立場、保護者の立場で教育は受けさせないなどとやぼなことは言っちゃいかぬ。九年間学校教育を通じて日本人としての基本的な知育、体育、徳育を授けねばならないとする国民的な必要性から設けられた制度だと思います。
がんぜない子供がだんだんと一人前になる過程において、九年間は親の立場、保護者の立場で教育は受けさせないなどとやぼなことは言っちゃいかぬ。九年間学校教育を通じて日本人としての基本的な知育、体育、徳育を授けねばならないとする国民的な必要性から設けられた制度だと思います。
その点は先刻ちょっと触れて申し上げたつもりでございますが、義務教育と高校学校とは、むろん義務制でありやいなやということで違いはありますけれども、学校教育法上示しております基本的な受け取り方としましては、やはり高等学校についても学校教育法二十条なり二十一条というものが当然適用され準用されるという扱い方でございますことは、高等学校の教科書といえども、大学で使う参考書と違うから、後期中等教育の健全な充実発展という角度から、義務教育諸学校の教科書とほぼ似たような扱い方をするというたてまえになっておると思うのであります。したがってその公共性の意味におきましては、普遍的であるかいなかといういまの御指摘の違いもむろんございましょう、義務制であると
先刻もお答えしましたように、義務教育の教科書であります限り、有償、無償そのことが一つの重大な憲法上の課題ではございますが、小学校、中学校によき教科書を完全にスムーズに提供される、安定して供給されるという事柄は、有償、無償以前の事柄でもあります。本来もっとそういう角度から教科書会社ないしは発行供給については、法令が整備さるべき課題としてあったとむろん思います。その時期がたまたま無償措置を講ずるについて、特にそのことが感じられるという時期に立法化するという段階になってきた。だとするならば、むろんお説のとおり別個の法体系にしたらどうだということはございましょうとも、特にこれといままでより以上に密接な関係もあり、その機会に法令が整備さるべき
疑わればそういうような御懸念が出てくるかと思いますが、国会の御審議を通じまして政令にはおよそかくかくのことを考えておりますという御説明を申し上げた線を逸脱することは不信行為であって許されない、それだけの制約は当然あるものと思います。政府側と国会と御協議申し上げるという制度的なものがあるかどうかは承知しませんけれども、すでにして責任を持って御説明申し上げた線以上に強化するなどという意思は毛頭ないということをこの際としては申し上げておきたいと思います。
実際の問題として、その案をちょっと持ってこいと言われましたときに、出さないなどというがんこな態度は絶対とらないつもりであります。
そういうお考えもむろんあり得ると思いますが、私どもの考え方は、いま政府委員からも申し上げましたように、幾分か少なくなる傾向は期待されるわけでございましょうけれども、一方においていい教科書が安定して供給されねばならないという公益にこたえる立場は、いまお話しのとおり文部省等が行政指導等をやることもむろん必要ですけれども、何と申しましても、なおかつ起こらないようにということを期待する必要性もいま申し上げた公益のゆえにあろうかと思うのであります。その意味において罰則等のことが万一に備えて用意されておる、そのことを業者も念頭に置きながら自粛自戒し、責任を果たす意欲を起こすであろう、そういう期待のもとにその規定があることによって契約不履行あるい
その点は先般来私なり政府委員からおりに触れてお答え申し上げた課題だと存じます。採択という行政行為それ自体は教育委員会が従来もやっておりますし、その点については新たなる課題ではございません。そう考えます。その場合に、従来といえども、御指摘のように、教師一人一人が教育的立場でこれを選びたいという考え方そのこと自体を否定する考えもございませんし、法案そのものがそのことを否定しておるわけでもむろんございません。これはもう当然の常識の範囲のことと思うのであります。ただ、ある行政区域においてこれを選ぶんだという最終的な意思の決定そのものは、教育的立場でこれを教えたいという教師の立場とは別個な行政行為として受けとむべき課題と存ずるのでありまして、
お答えをいたしますが、本法案におきましては都道府県の教育委員会がそれぞれの教域内の教育水準の維持及び教科書の発行供給の合理化、円滑化の立場に立ちまして、従来の採択の実態を顧慮しながらあらかじめ数種を選定する。そういうたてまえにいたしておる次第であります。そのワク内でいわゆる教育委員会が一種を採択することとしたのでございますが、先ほども触れましたように、選定の場合には審議会を置くことにいたしまして、市町村の教育委員会からの委員を加え、市町村側の意見も、いわば予選をする場でございますところの選定審議会で十分に反映するように運営いたすことにいたしております。そのためにお説のように市町村の教育委員会の採択そのものが本質的に阻害されるというこ
五大都市、特別都市が、通例の市町村とは別個に制度化されておりますことは、いま御指摘のとおりでありまして、都道府県と従来の市町村との中間的な新たな地方自治体ができたという意味においてはむろんお話しのとおりに理解いたしますが、ただその指定都市につきましても、一般行政の立場においては府県並みの特殊の取り扱いをしている事柄は、地方自治法に制限列挙してある事項に限られておるようでございます。教育行政について申し上げましても地方教育行政の組織及び運営に関する法律によって、教員の給与、人事、研修等に限られておるのも御承知のとおりであります。教科書の採択につきましてはその意味において、特に特別市であるがゆえに都道府県並みの立場において取り扱いをする
大体政府委員からのお答えで尽きているようなことでございますが、すでにお話も出、お答えもしましたように、純粋に教育的立場に立てば、オーバーラップするようなところがあり得ると思いますけれども、すでに行政区域というものがあり、その行政区域を単位として、都道府県市町村の段階においても、もろもろの教育的に純粋に考えられるべきことも、便宜措置をいたしておろうかとも思うわけでございます。のみならず、この郡市単位を一応考えに入れまして、採択区域というがごときものを構想しましたのは、すでに八割以上が都市単位で同一種類のものが採択されておる。そうなるに至りました経過は、教育的な立場もむろん考えられ、あわせて行政的な立場もミックスされて考えられつつ、現実
今回、政府から提出いたしました公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律及び市町村立学校職員給与負担法の一部を改正する法律案につきまして、その趣旨を御説明申し上げます。 現行の標準法は、昭和三十三年に制定され、同法のもとで、翌三十四年からの五カ年計画により、公立義務教育諸学校のいわゆるすし詰め学級の解消を進めてまいりましたが、昭和三十八年度においてこの五カ年計画は完了し、すし詰め学級は、一応の解消を見たのであります。今後は、その成果を基盤とし、教育効果のより一そうの向上を目ざして、義務教育の充実を進める必要があります。このためには、昭和三十九年度以降における学級編制の標準について新たな目標を示し、計画的に、その
お答え申し上げます。 第一は、今度の基準法については、教育的な立場からきめのこまかい教育に心がけるつもりであるかどうかというお尋ねであったと思います。もとより御指摘のとおり、単に首切りが出るから困るのでやるというのでなくして、いわば生徒数の減少が不幸中の幸いと申しますか、それを教育効果をあげるための機会が到来したものと受け取って、御指摘のとおり、きめのこまかい教育効果をあげる課題として受け取っておるわけであります。(拍手) 第二番目に、生徒の一人一人の個性を伸ばすという見地から、一学級をもっと減らして、三十五人くらいにしたらどうだというふうな意味のお尋ねであったと思います。さしあたり三十五名あるいは四十名等のお説には賛同いた
御質問の趣旨がばく然としてよくわかりませんが、帝国憲法と新しい憲法との違いというものは、一言にして申し上げかねますけれども、新憲法の趣旨にのっとって制定したと前文にも書いてある教育基本法、憲法及び教育基本法の趣旨にのっとってすべての法令ができておると思いますが、教育行政はその根本趣旨にのっとって行なわれるべきで、一歩たりといえども脱線することを許さない、そういうものだと思っております。
そういうふうにお尋ねになっても、なかなかつかみどころがないように理解されますが、一言にして言えば、主権が天皇にあった旧帝国憲法と違って、根本的には主権は国民にある。教育はすべて国民本位に行なわれねばならない。日教組本位に行なってはならない。こういうことだと思います。
いろいろと言われまして、共産党としての心情も含んだお説のようでありますが、それに具体的に一々お答えすることは困難であり、またここでは必要もないかと思います。ただ繰り返し申し上げれば、天皇主権が主権在民になった、教育については教育勅語を頂点として、あとはすべて教育に関する限りは天皇の大権事項として扱われて、ことごとく法令は勅令の形で行なわれた。戦後におきましては、新憲法のもとにこれこそ主権在民のたてまえを貫いて、すべてこれ憲法、教育基本法以下の法律によって秩序立てて教育を行なう、こういうたえまえになったことは、私はそういう意味のこともあったように思いますが、それは先刻申し上げましたとおり、憲法、教育基本法以下の法令に従ってやるのだとい
この点は、主権が天皇にあるという前の憲法が変わりまして、主権は国民にありということになったということですべてを尽くしておると思うのであります。そのほかにかれこれ疑義がない、注釈を要しないことと思うのであります。ところが共産党の諸君は根本的には悪法は法にあらずといわれ、憲法といえども、法律といえども、共産党的なものの考え方に立って不利益なりと思うことは法にあらず、これを無視してもかまわないというようなへ理屈を並べる人々もあるようであります。むしろそのことが民主憲法下の国の行政その他万般について弊害を及ぼしているということは、厳に戒められねばならない。それは真に民主憲法下の民主主義のあり方ではないと思う節々があります。それは別といたしま
憲法は戦争に負けたことを出発点として制定されたわけであります。その要因が国民的反省に基づく部分もありましょうし、あるいはまた占領軍のいわば押しつけの部分もあると思います。それらはここで言う課題じゃむろんございませんけれども、一括していえば、先刻来二度にわたってお答え申したとおりであります。教育が政治的な支配を受けてはならない、権力の支配を受けてはならないということは、教育基本法も明記いたしておるのであります。しかるに現実には、政治的一部の偏向した力が教育の場に及び来たっておることを私は遺憾としながら、そのことを指摘し続けておるわけでありますが、同時に権力の支配を受けてはならない、不当な支配に屈してはならないということは、民主憲法のも
いまのお話のようなことすべてが、先刻お答え申し上げましたように、帝国憲法が新憲法に変ったことですべてが解決しておる、その前提に立って教育行政も教育そのものも行なわれなければならないということに尽きると思うのであります。いま国会論議の速記録等を読み上げられましたけれども、それらのことをすべて含めて新しい憲法が制定されておる、その憲法の趣旨に従ってこそ教育基本法が定められて、学校教育法その他も新しい憲法のもとに民主的に定められておるということですべては尽きておると思うのでありまして、その教育が政治的な支配を受けてはならないとする教育基本法第八条それ自体を冒涜しつつあるのは、私はむしろ共産党じゃないかということを国民のためにおそれておるの
私が個人的に認める、認めないにかかわらず、憲法は制定せられ、実施せられ、その憲法の趣旨に基づいてあらゆる政治も行政も経済も社会生活も国民生活すべてが規律づけられて今日に来ておる、こう理解しております。
私が何かお答えしなければならないようなお尋ねですから、申し上げたのであります。お尋ねの趣旨は、政府あるいは閣僚として公の立場においては、もう御返事するまでもないこと、憲法それ自体が物諮り教育基本法以下の法令が物証っておるということを申し上げておるのであります。それに忠実に従って歩く以外の考え方は公にあるはずがない。それを私に言え言えとおっしゃるから、個人的にはそれはいろいろな考えがありましょう。共産党といえども、いまの憲法を守るとおっしゃるけれども、野坂参三君を代表に立てて、第九十帝国議会の憲法制定議会においては幾つかの理由をあげて絶対反対された、そういういきさつをいまさらお互い言う必要がないであろうという前提に立って、閣僚の一人と