ほんとうに不賛成でございます。
ほんとうに不賛成でございます。
ほんとうに国定には反対であります。ですからいま御審議願っているような法案を、この前御審議願った根本の態度と一緒に御審議を願っておるゆえんでございます。教科書の発行制度その他現行の法律に基礎を置いてやっていこうという態度を法案を通じてお示し申し上げておるので、御了解をいただけるかと思います。 ついでながら申し上げておきますが、さっき御指摘になった、担当課長が御答弁申し上げておったようなことは、私は知りませんけれども、あり得ると思います。そういうものがあり得たであろう。それは世間にもございますが、与党内にも一時国定教科露のほうがいいのじゃないかということを言っておられたのを仄聞したことがあります。国民一般の中にも、いまでもそんなふう
露骨に言えば、大体そんなところじゃないだろうかというふうに想像するわけであります。(笑声)それはさっきも申し上げましたが、ある段階ではそんなふうなことがささやかれておったことは私も知っております。しかし、その資料が文部省の基本的なものの考え方であると御理解いただくことは誤解であって、先刻来申し上げておるのが真相であります。あえて政治的にごまかして申し上げておる気持ちもなければ、そういう内容でもむろんない。むしろ法律的に申し上げておる。文部省として国会に良心的にお答え申し上げておる内容が、以上のとおりであります。
自信を持って正確に申し上げるあれがございませんけれども、先刻ちょっと申し上げましたように、検定そのもののものさしは一応学習指導要領、これをものさしとして検定が行なわるべきもの、かように思っております。
お答えしました。それはいまお答えしましたものの内容にさかのぼって、一番根源だけを申し上げればそういうことになると思います。
そういう概念的に可能性なしとは申し上げられませんけれども、ないように指導していく、処置する責任が文部大臣にあると思います。言いかえれば、憲法なり教育基本法の趣旨に反した部分を持っている学習指導要領は、その部分において間違っている、改正されねばならぬ、そういう問題だと思います。
これは、どうも専門的になってお答えいたしかねますが、心がまえは、先刻申し上げたとおりの心がまえで検定が行なわれねばならない、こう思います。
これは、小中学校の児童生徒の知能、感受性の発達段階に応じて、国民として義務教育の場において教育されねばならない内容が盛られておらねばならぬ、そのことも考慮に入れられた学習指導要領ができているものと、私は信じております。
歴史観というのが、皇国史観とかなんとか、ことばを聞いたことはありますが、皇国史観の立場で歴史というものはいかなるものであるか、私は知りません。歴史についてかりに私が言い得る限度内のことを申し上げれば、史実そのものが正しく子供には教えられるべきであろう、そう思います。
どうも私はそうしかいまお答えいたしかねますが、種がございません。
その範囲は歴史学者が甲論乙駁する範囲であって、それらの学者的な論議を義務教育の教科書の中に、ある説を持ってくるということは検定の範囲外のことで、検定された教科書にそんなものは持ち来たすべきじゃない、こう思います。
これは現に映画なり録音にとられているものがあるわけじゃございません。いろいろの残された文献によって、歴史上の史実であるかどうかということを学者が研究して、それが学者の通説である限りにおいては客観性あり、という問題は私は多々あろうと思います。そういう意味においての史実というものは児童生徒に教えられてしかるべきだ、論議があって、どっちがほんとうかわからないやつを、どっち側かに軍配を上げてこうだというふうなことは、検定の態度としては適切じゃない、そういうものだろうと思いますが……。
その意味でございますれば、冒頭のお尋ねに対してお答え申し上げたとおり、憲法、教育基本法、それらの趣旨に沿って制定されておる法令の範囲内において検定が行なわるべきものだ、それで尽きておると思います。
簡単に申し上げていまのお答えで尽きておると思いますが、思想の自由を侵す権限が文部大臣の検定権の中にあるはずがないと思います。
文部大臣が検定しました教科書が種類がたくさんある。その中である行政区域内の学校においてどれを選定するかということそのものは、いわゆる採択行為というものは行政行為であって、教育活動それ自体ではない、こう思います。
一人一人の先生が種類のある教科書の中で、自分が教えるとすればこれが望ましいということを考え、できることならそれを選んで教えるということが可能である限りは、むろんそれは教育活動それ自体だと思います。
それは午前中の御質問にも関連してお答えしたと思いますが、理想的にと申しますか、教科書をどれを選ぶかということに関連する教育活動の内容だということはいま申し上げたとおりですけれども、具体的にそれを各教師一人一人が教育活動そのものとして最終的に選ばねばならないということにするかどうかというのは、これは行政の問題であって、もしそういうふうにすると仮定しますならば、学校ごとに、クラスごとに全部違うということが起こり得る、そのことがはたして教科書というものが国の立場で検定されねばならない、検定ということで検定されたものだけが、種類はたくさんあるにしましても、必要なりとする前提からずっと考え合わせまして、極端にいま申し上げたとおり、クラスごとに
それぞれを純粋に分析してみるとさつき申し上げたことになるわけですが、行政制度というのは、その折衷されたところに権利があると考えられた制度が現にある。そのことが今日まで、ずっとそのたえまえにおいて行なわれてきておるということを申し上げるわけであります。とにかくこの法案がベターだと思うこと自身は、教師それぞれの自由である。そのこと自体は、それをとり出して言うならば、教育活動のあらわれであることは、これはむろん疑いないと思います。議論するつもりはございませんけれども、文部大臣が検定権を持っておるということにされておる。学習指導要領をつくらねばならない責任と権限が与えられておる。そのこと自体も、教育活動の根源をなす教育内容それ自体を取り扱っ
種類がたくさんできて、教科書会社が競争してよりよきものをつくらんとする努力に依存しつつ、種類をたくさん教科書をつくり上げるというたてまえで、地域ごとに選定をするというのは、それは地域の特性、地方分権の特性に立って、地域ごとの特色を数種類ある教科書の中から選ぶということは、それ自体教科書の地域的選定だと思うのであります。採択だと思うのであります。その意味における責任を教育委員会が待つ、その意味において採択の責任を持ちます教育委員会は、先刻も申し上げたとおり、これこそ現場の教師の意見を――たくさんいるであろうところの小中学校の先生方の意見を十分に時間をかけて聴取し、あるいはそのときにおいて聴取しながら誤りなきを期して、住民に対して、その
根本から教師の選択にまかせる制度でいくのならば、御説のようなことは理解できます。すでにして教科書というものは文部大臣が検定したものを使わねばならないということで、山中さんのおことばを拝借すれば、どれを使ってもよろしいということ、そのことを是認してかかる、前提に立ちます限りは、あとそれじゃどれを選ぶかということについて残されたものは何だ。地域的な特色、地方分権制度であるがゆえに、地域的な特色が比較的適切であると思われるものが選ばれるということ以外に、内容的に選ばれることはないと私は思います。そのゆえに地方教育行政機関たる教育委員会が、その地域において内容的には疑義のないはずであるところの検定済みの教科書を採択するという権限を政策的な立