学力テストは成績だけを上げるのが主目的じゃないわけですから、いまお話が出ましたように「教育委員会月報」にそういうことが書かれることは無用のことだと思います。学力テストは共通普遍の課題をとらえまして到達度を見ようというやり方であって、成績がよかろうと悪かろうと、よければよいで、悪ければ悪いでその原因を探求して、欠陥の是正に資するためのものですから、単にペーパーテストの一回だけのものの成績をよくするというそのことだけが主目的になることは脱線だと思います。
学力テストは成績だけを上げるのが主目的じゃないわけですから、いまお話が出ましたように「教育委員会月報」にそういうことが書かれることは無用のことだと思います。学力テストは共通普遍の課題をとらえまして到達度を見ようというやり方であって、成績がよかろうと悪かろうと、よければよいで、悪ければ悪いでその原因を探求して、欠陥の是正に資するためのものですから、単にペーパーテストの一回だけのものの成績をよくするというそのことだけが主目的になることは脱線だと思います。
さっき私も五十工年くらい前の小学校時代のことを思い起こしてみたのですが、確かに私どもが習った算術の教科書もほとんど全部が問題集のようなものでありました。理科はありましたが、これもいろいろと説明書きがたくさんありました。ということも思い出しながら、なかなかむずかしいことだなという実感を持ったわけでございます。そこで制度論からいえば、それはわかっているから質問する内容じゃないとおっしゃるわけですが、それにしても教科書は文部大臣が検定したもの以外には使ってはならないというほど厳粛に学校教育法では扱っておるわけであります。それだけに先刻来のお話も慎重に拝聴いたしたのですが、調査官の責任もその意味において重大である、また重大な責任感の上に立っ
憲法が義務教育はこれを無償とすると定めておりますことを受けまして、その趣旨をふえんする立場から、この前の通常国会で義務教育諸学校の教科用図書を無償とする教科書無償法律を決定していただきました。それは法律でもって憲法の趣旨をふえんし、義務教育諸学校の教科書に及ぼすという趣旨であったのであります。これを実施するにつきましては、法律事項として無横措置を適切に行なうための諸般の事項がございますので、そのことを今度御審議願っていよいよ実行に移したい、そのための法律案を提案したつもりでおります。
純粋の無償措置、そのことに関します部分と、これを円滑に実施するために必然的に関連をもってきます事柄をあわせて御決定願うことが教科書の無償措置の目的を果たすゆえんだ、こういう考えで、御指摘の点は両方とも一体をなしたものとして考えておるわけであります。
いま御指摘の点は特別に検討をいたしたわけではございませんが、お話のとおりかって法律という形で検定の手続の一部を考えるということを妥当なりとして御提案をしたことがあることは聞いております。それが廃案になりました出精等もむろん詳しく存じませんけれども、国会で一応廃案になりました以上は、その後の実施状況そのままで当面検定に関する限りはやっていっても適当である、かように考えまして、あらためて検定についての立法措置については触れなかったわけでございます。
お話のような意味ではむろんございません。すでに御指摘のとおり、学校教育法第二十一条以下において、検定をした教科書を使わねばならないという趣旨のことは明確でございまして、検定の責任と権限が文部大臣に課せられておる。それを検定する行為をするにいたしましては、むろん憲法、教育基本法はもちろんのこと、教育に関する法令を念頭に赴きながら、教科書の意図するところの目的を完全に果たすための態度でもって検定が行なわれるべきことは、これは当然でございまして、あえて立法的手続をしなくても当面支障なかろうという判断に立つだけでございます。だからといって、官僚の独善とおっしゃいましたが、かつて気ままな行動が検定を通じて許されるはずのものではむろんないと存じ
詳しくは政府委員からお答えを申し上げることを御了承いただきたいと思います。 もちろん文部大臣が検定権、検定責任を法律上持たされておるわけでございますが、御指摘のように一々の教科書の検定を文部大臣が現実みずからやることは物理的に不可能でございますから、教科書調査官あるいはそれぞれの部局長等の職員が置かれておるわけでありまして、そういう検定行為を信頼して、結果において国民に責任を持つという体制のもとにいままで行なってきておるものと理解いたします。そういうことで、一々私みずからが具体的に検定をするということではもちろんあり得ないし、そうでなくても責任は言わなければならぬ、そういう心がまえであることを申し上げさせていただきます。 い
定義がなかなかむずかしいわけでございますが、私が理解しますことは、少なくとも義務教育を対象として申し上げますならば、教育基本法がいいます教育の目的に応ずるような人間養成に役立つものを、国の責任において最小限度絶対必要なりと思う範囲のものを教科書に盛り込んで提供する、その目的に応ずる主たる教材が教科書である、かように思います。
そういうものが出ておるということは、聞いております。それがいいか悪いかの問題は、単純に結論も出しかねる課題かとも思いますけれども、もしそれが教師の参考書として有意義であり、間違いがない有効なものであるならば、あえてとがめだてすることもなかろうという感じでございます。
いまおっしゃるような意味でのお尋ねであれば、また幾らか違いますが、御指摘のように、主たる教材そのものが教師によって解明せられて、子供の脳裏に正しくいわば移植されるというのが、教育効果だろうと思いますが、もし教師のことごとくが、そういうとらの巻的な、だれも責任を負わないかもしれないとも考えられるようなものによってオウム返しに教えられるということ以外に方法がないなら、そうであるとするならば、教師の能力そのものが十分でない、あるいは心がまえが十分でないということに問題が帰着すると思うのでありまして、それはそれで別個の問題であろうかと思います。いわんやさっきお話しのように、父兄が、それを買い込んで、担当の先化にさかねじを食わせる材料にするが
お尋ねの点は、現在がほぼそういう状態にあると思います。現状で大体よろしいと私は判断をいたします。先ほど来お話が出ましたように、およそ教科内容については文部大臣が国民に責任を負えということになっておる。その責任を負う具体的内容は学習指導要領という形で責任を担うということになっていると思います。それを一応茨木にいたしまして、教科書調査審議会等が文部大臣を補佐する立場において衆知を集めて知恵を授けてくれるという形で、実質的にも麦価が償える努力をするやり方で教科書の検定をいたすものと思います。検定されました教科書をだれが住民のために責任を負って選ぶかとなれば、教育委員会が責任を持って住民に対してその地域で使う教科書を選定するという責任と権限
教科書の採択ということは教諭が教育をつかさどるという事柄以外のことだと思います。先刻もお答え申し上げましたように、教育内容を文部大臣が国民に責任を持つ立場で定めなければならない、その根拠に立って文部大臣がこれまた国民に責任を食うという立場で教科書は検定しなければならない、検定を受けた教科書以外は使っちゃならない、こういうことででき上がりました教科書を地域ごとにどれを選ぶかということが採択行為だと思いますが、教育委員会が採択権を持って採択します事柄は、内容的には全部いわば学校教育法上国民に式年を持つ立場においては解決済みのものを、地域的な特色等を考えて、その中からどれを選ぶかということでありまして、教師の教育活動それ自体を左右するとい
自分で選ばなければ情熱がわかないとおっしゃいますが、そういう人もあるかもしれませんが、すでにして文部大臣の検定したもの以外は使ってはならないという教科書でありますことそれ自体が、どれを選びましょうとも、教師がみずからの意思で選択するという余地は、地域的な要素、あるいはある程度の教科書観の違いということについて関心が集中できることとはむろん思いますけれども、およそ教科書の採択、その準備行為としての選定という行為そのものは、これは行政行為であるべきであって、教師が教育をつかさどるという教育活動それ自体でないと私は思います。言いかえれば、採択、選定ということは、教育委員会が国民、住民に責任を持って、選定のよしあしを責任を持つべき課題であっ
私は制度の問題としてはさっき申し上げたことに尽きると思います。教師に対する不信感を持っているから、さっきお答えしたようにおとりになっておるようです。がむしろ私は教師を尊重するがゆえに申しておると自分では思っております。というのは、採択、選定ということについて、民主主義のルールからいって、住民たる主権者に責任を持つ課題だろうと思いますが、教師の一人一人が、あるいは学校としてでも同じでございますけれども、選定、採択のところではそれ自体について住民、国民に責任を持つ立場じゃないと思います。選定された教科書の教え方については責任があると思いますけれども、選定すること自体にかりに適当でないものを選ばれたとしましても、教師は責任はないはずであり
私は先刻お答えしたとおりに、かりにまたそのことが採択、選定等の要請行為、それを通じて国民や住民に対して責任の所在をはっきりさせるゆえんだ。民主的とおっしゃいますが、各学校から意見を聞いて責任を分散するというがごときことこそが適当じゃないのではなかろうか。選定するにあたって現場教師の意見を聞くということが教育委員会として望ましいことであることは、これは常識の範囲でございますから、特に言わないで、法律にそれを明記することによっての責任の分散をかえっておそるべきじゃなかろうかというふうに私は理解いたします。
私も教育を愛するがゆえに申し上げておりますが、むしろおっしゃるようなことは政令ないしは行政指導にゆだねて十二分なものではないかというふうに考えますので、以上のとおりにお答えしておるわけであります。教育を愛する意味は村山さんに劣らない気持で申し上げております。
私は違うと思います。大学の教授が研究し教授することならば別ですけれども、いやしくも義務教育の場において教員は教育をつかさどるとあるから、自分の主観に立って何でもどう教えてもよろしいということであっては絶対いけない。義務教育なるがゆえに、特に教科に関することは文部大臣という立場で全国民に責任をもって基本線を定めて、責任を負うて、そのことが具体的には学習指導要領という形で責任を負う内容ができておる。検定します場合も学習指導要領を根拠にもって調査官その他が文部大臣にかわって調べて、その線を逸脱しないようなものだけが検定に合格する、そういう建前になっておるゆえんでございまして、そのことを念頭に置いて、そのうち内において教師が教育をつかさどる
私は、その実質的なものの受け取り方においては小林さんとそう違っておるつもりは自分としてはございません。教育委員会、文部省もそうですが、文部省も教育委員会も何も教師と対抗する立場にあるんじゃなしに、行政上の権限とか何とかは制度論として必要だから申し上げているにすぎないのであって、文部省も教育委員会も学校長も教頭も教員も全部一緒になって主権者たる国民に、その国民の子供であるところの児童、生徒に対しまして義務として課さねばならないと国家的に民族的に判断するところの教育を一緒になってよりよくしていこう、それをそれぞれの立場において責任を分担し合って、総合すれば最もいい状態に持っていくためにこそ存在しているそれぞれの立場だと思うのであります。
いま御指摘の、以前に実施せられました、まあいわば部分的な教科書無償制度、それが結果的には廃止されるに至ったことはお話のとおりと理解しております。あれはすでに御案内のごとく、立法の当初から一つの試みとしてなされるという趣旨がうたわれておったと承知いたします。さらに次の段階におきましては、一年生に入る児童に対しての一つのはなむけとしてというがごとき、本来部分的なものであることを標榜されながらスタートしましたために、当寺の立案者としましてはだんだん発展せしめていく意図がむろんあったと思いますけれども、スタートラインにしてすでにして部分的なあるいは臨時的な要素をはらんでおりましたがために、不幸にして沈没したんだと理解するわけであります。
これはたまたま私が責任者の立場にあります者としての主観的な不退転の決意などということでなくて、先刻申し上げたように、この前の通常国会において御決定いただいた法律そのものが政府に対しましても厳粛に要求しておる趣旨であろうと理解するのでございまして、先ほど申し上げたとおり、当然に段階を踏むことはやむを得ないといたしましても、なるべくすみやかに完全に義務教育諸学校の教科書が無償になるということまで必然性を持って進行していくべき問題と心得ております。