聞いたことはありません。
聞いたことはありません。
多分ないだろうと思います。
党から、ことさらそういうふうなことを言われる必要はなさそうに思います。
御質問のようなぴたっと問題を解決するような具体策は今私の念頭にはお答えする材料はございません。ただ、今まで国会で衆参両院で数回同じ話題が出まして御質問にお答えしてきておりますが、これも私のお答えしましたのは抽象的な範囲を出ない程度のものでございます。今の学校制度上のことから申せば、申し上げるまでもなく、夜間の義務教育の学校があるということは許されない、こうまあ解されて今日にきていると思います。したがって、そういう夜間の中学などがあることが制度上間違いだ、だから、それをなくする努力をしなければならない。しかし、現実に今のお話のようにあるじゃないか。その現実にあるのがいかなる理由から、まあ必要悪とでも申しますか、制度だけからいけば悪いこ
そうです。今申したとおりの考え方に立って調査をし、対策を立てる、こういう考えで進みたいと思います。
教育的見地に立ってこれに対すべきことが当然であって、その他の立場というものは考えられないと私は理解します。
そのとおりでございます。
私の個人的な心境いかんに基づくのでなくて、憲法の趣旨にしたがって、教育的な見地が定められておる、その教育的見地に立って、いま御指摘のような課題には対処する、それが純粋に、当然のことだと思うからであります。
この御審議中の法律案に基づいて無償措置を講ずる課題の沖繩に関する問題でございますが、むろん御指摘のように沖繩の住民も日本人であるというたてまえに立って企画をいたしたのであります。ただ現実の問題としましては沖繩の特殊な現状に左右されざるを得ませんので、結果的に日本内地と同じようにすることが事実上不可能だということに直面しました結果が、御指摘のようなことになっておるわけであります。ただしこの問題を契機として沖繩におきましても無償措置が六年生まで一挙に実現するということになりましたことは、御同慶に存じております。ただ、いま申し上げたとおりの事情のゆえに、日本内地が一年から六年まで一挙にいけません状態のもとに、沖繩がいわば先行しましたことに
国籍法による国籍を持っておるとは現実には言い得ない状態にある、こう思います。
国会の審議を経た法律という形に基づいての根拠というのは発見しかねるかと思います。私の承知する限りでは、沖繩に対しては事実問題として、日本が潜在的主権を持っておるという大前提だけははっきりしておる段階かと思います。だからといって、日本国内の法律という形に根拠を求めることは、今日のところはその根拠がない、しかし潜在主権があるという前提に立った限りにおいては、日本人であるということははっきりしておる、こう理解します。
無償措置がなるべくすみやかに義務教育課程全部に実施されることが望ましい意味においては、望ましい現実状態が沖繩において先行しておる、そういう状態だと思います。不利益なものが沖繩住民なるがゆえに残されるということは好ましくないが、沖繩住民の利益になることが先行しますことそれ自体は、かれこれいうこともなかろう、こう理解をいたすのであります。法のもとに平等であることに沖繩といえども例外であるべきじゃないことは当然でありますけれども、これはやはり平和条約に基づく結論がしからしめておるわけでございますから、望ましくないその他の諸条件を整備するためには、潜在的主権じゃなしに日本の主権が行なわれる状態になることを待望するという課題として残る、こう思
先ほど来申し上げます大前提に立ちます限り、文部大臣として考えておるからどうだということでなしに、平和条約に淵源するところの制約のゆえに、願いは御指摘のような願いを持っておりましょうとも、現実にはそれができないという状態だと思うのでございます。
願いというのは個人的な願いでありまして、制度上、権限に基づいた願いではむろんございません。
現在沖繩に対して、制度上、符に国会の審議を経た法律という形をとった制度に基づく措置は、現実問題としてはできない。しかし国民的な願いとして、国内と沖繩にいる住民との間に同じような措置をしたいものだという願いは国民的願いだと思います。その趣旨に立って、日本国内、内地と同じような措置を講じたいという内容の予算要求をいたしまして、それが政府で一応案ができて、国会の御承認を受けて、それを実施しつつある段階、こういう問題と思います。
そのとおりであります。
いま村山さんの御指摘の点はごもっともな節もあると思います。そこでいま政府委員から御説明申し上げたように、滅失棄損をしました場合は、その学童及びその保護者がいわば責任を持ってもらわねばならぬということで、これは一応はっきり言えそうに思います。そのほか、災害の場合に、いわば不可抗力として災害救助法の適用を受ける災害のときにはまた無償で支給する、その他の災害のときにはあきらめなさいという考え方に立っているわけでありますが、それもはたして将来永久にそういう考え方でいくべきかどうかというところにもある程度の問題があろうかと思います。と同時に、いま御指摘の転任したような場合に、その学童にとっては二度もらうケースになりましょうが、二度は支給しない
昨年でございましたか、本委員会の御質問と記憶いたしますが、同一趣旨の御質問があったように思います。そのときにお答えいたしました気持ちはいまでも持っておりますが、四十五名が終着駅とは思いません。しからば何人が理想的な終着駅であるか、それは私にはまだわかりません。イタリア等は三十名と称せられることも伝え聞いておりますが、これは非常に小規模学校が多いという特異な条件もあるやに聞きます。その他の国々の例も伝え聞きはしますものの、その実態を把握しつつ——外国の例にならうというのが終着駅の問題ではないとは思いますけれども、外国の実情等も検討を加えつつ、日本の国情、また教育的な純粋な見地に立っていかにあるべきかという専門家の意見もございましょう。
あるいは素案としては結論的なものがあるかとも思いますけれども、私は承知いたしておりません。そこで以上の通り申し上げたわけでありますが、財政的な見地から主として考えて四十五名というのが打ち出されておることも事実でございますけれども、御承知の通り、敗戦によってベビー・ブームが襲来して、それがようやく高等学校の段階に移行しておる。そのあとの生徒減少の状態が小中学校におとずれつつある。それをいい機会に、教育効果をあげる立場から定数を考えていくべきだという課題にいま取り組んでおるわけでありますが、かろうじていわゆるすし詰め教室を改消するという一応の計画が、五十名単位で三十八年度でやっと到着した。したがってその次の高い理想状態を一応別としますれ
四十五名が終着駅でないということでありまして、それが終着駅と書いておる新聞があるとすれば、それは間違いであります。御指摘のように、現在のようやく到達しました五十名から始まって一対一に至るまでのコースが物理的にあるわけですが、五十と一の間でどこが日本として絶対的な目標であるかということを検討することは、そう簡単じゃないと思います。終着駅にあらざる四十五名を目標にいって、まずその第一次目標に到達する。それに続くところのさらに五カ年計画がこれに継続するというのが、現実的であり足を地につけたものの考え方であろうと思います。ただ四十名だ、三十名だと言ってみること、そのこと自体は何らそこに具体化された裏づけを持った理想として表現されたものじゃな