それはそのとおりだと思います。私は倫理綱領そのものを批判し、その倫理綱領を作るについての合作者としての責任は、これらの学者は分担すべきであるし、その意思を今日まで持ち続けておるという実際の証拠がある。こういう立場で倫理綱領を作ることに協力した学者を批判しているのであります。
それはそのとおりだと思います。私は倫理綱領そのものを批判し、その倫理綱領を作るについての合作者としての責任は、これらの学者は分担すべきであるし、その意思を今日まで持ち続けておるという実際の証拠がある。こういう立場で倫理綱領を作ることに協力した学者を批判しているのであります。
先ほどから一両回お答えいたしましたように、もちろんそうであります。組合員でもない人に組合たる日教組の行動そのことを、倫理綱領執筆者が責任を負わなければならぬとはむろん思いません。しかし、その日教組の行動なるものの誤まりは、元をただせば倫理綱領にあり、その間違った行動の原動力ともなる誤まった目的意識を作るべく協力してあえてはばからない学者というものは、どうかしていやしないかと思うから批判したのであります。
執筆者としての責任は持つべきだと思います。少なくとも批判されてもいたし方のない立場にある意味において責任は分担をする意思を持っておる。そういうことはいまだに持ち続けておると私は理解しますが。
倫理綱領だけについて。その倫理綱領の誤まりのゆえに日教組の現実の行動の誤まりが毎年々々続発しておる。そのことはそのもとを作った協力者たる学者も知っておるにかかわらず、依然として協力者である立場を持ち続けておるのはどうだろうということもあわせて批判しておるわけでございます。
たとえば中教審の場合は、諮問に応じて中教審という諮問機関の意思がきめられて答申という形で述べられた、それを文部省で採否は自由である、理論的には採否は自由でありますが、実際上は大部分それを基本に立案をするということでしょうが、その立案したものそのものは文部省の責任において意思が決定したものであって、合作などという表現は使わないと思います。日教組の場合は、合作者なりという姿を、日教組みずからが採択した後もみずからの出版物の上に書いておりますから、そのことを指して私は申しておるのであります。
大体似たようなものでございましょう。
大体同じだと思います。
間違いであったとは思いません。私が合作と申しますのは、単に学者としての意見の述べっ放しでなしに、意見を述べっ放して、それを日教組という法人格を持った立場で受けとめて完全消化した状態よりも、一歩踏み出した状態ではなかろうか。これは教師の倫理綱領というものを、もちろん組合の全国大会で採択して本ぎまりになるわけですけれども、本ぎまりになりましたその倫理綱領そのものをみずから印刷し、頒布しました倫理綱領そのものに協力者として依然として名前を連ねて、責任を分担する形を持ち続けておる意味において少し違う点があると思います。
前言を翻したつもりは毛頭ありません。今お話のとおり、まさしく意思の統一があって中教審の答申というものが出た。その出たものを文部省が参考にしまして、ある法案とか何とかを作り上げます。そのときには合作の姿ではない、もう完全に消化し尽くされて、文部省みずからの責任においてすべてがその後は律せられる意味において違うということであります。答申が出るまでの姿は、私は日教組の協力者として学者等が意見を述べられたのと似たような、大体同じだと、こう申し上げるのはその意味であります。しかし日教組のこの協力学者は、その後といえども、その倫理綱領を作るについて協力したのだという考え方を日教組の印刷しましたものを通じて表明し続けておられる点において違いがある
それは問題が少し違うのじゃないでしょうか。それらの審議会の委員等は、答申を出すまでに学者的立場で意見を述べるということで使命は終わっております。その後、それと同じ内容のことを、たとえば同じでございましょうとも、それを発言するということはまた別個の立場の、審議会の委員としての立場でなしに、学者なり何なり、それみずからの立場において同じことを言っておる、別個のことだと私は思います。
それが私は違うと理解しておると申し上げるのであります。それは倫理綱領、これが倫理綱領だと最終的に消化し尽くして、みずからのものとして定めた、日教組みずからが倫理綱領として印刷し、頒布したところのそのとびらに、協力者の名前を依然として十五名連ねたものを一体として表明しておる、その意味において私は違うと思います。文部省の場合は、答申まではその名前がものをいいますけれども、それをもとにして法案なり何なりを作りました、あるいは学習指導要領を作りました後は、その協力者のメンバーの責任はない、すべて文部省の責任ということで完全消化しておる状態、すなわちくどいようですが、申し上げれば、学習指導要領というものにその知恵を注ぎ込んでくれた人々の名前を
それであります。
討論資料とおっしゃいますが、案と書いてありませんから、そういうものじゃないと私は受け取っております。同時に、十ヵ条の綱領だけが審議されたと言われますが、討論資料であるとしましても、解説等が一括されたものが当時作られて、それに協力者の名前が載っておるということは事実だと思っております。
その協力者であったことは事実でございましょう、私はそう思いますが。
合作という言葉は、今のお話のとおりだとすれば、文部省の中教審その他の委員の意見が実質的に反映したことと同じようなことだと思います。
合作者ということをかりに言わないとしましても、協力者として日教組で最終的に採択しました現行倫理綱領のほとんど全部について意見を述べ、それに同意しておるいう事実は否定できないことだと思います。
倫理綱領が物語っております目的意識、それと同じ意向を持っておるとする限りにおいては、批判の対象としてはむろん残ります。
教育基本法の趣旨に反する内容のことを是なりとする考えを持っておる意味において批判する対象になると思います。
十五名の人々の学者としての全貌、それは私の知るところではありません。ただ、日教組の協力者として教師の倫理綱領の目ざすものを是なりと判断し、それに同意しておるという協力の仕方であったという前提において、その教師の心がまえ、実践綱領としてはそうあるべきだというものの考え方は、教育基本法第八条に反する。反することも知らないで、さような協力をするという姿に対して批判を加えておる。
今申しました問題に関する限りしか私は知りません。その問題に関する限りのものの考え方は、日本の実定法たる教育基本法に反することだ、だから教育の立場から見れば迷惑だということを批判しておるのであります。