真実でないことを幾ら言われましても、相手を軽べつするだけで、自分では何とも思いません。形の変わった給与の二重取りみたいなものだからということを、そのことは、私自身の主観はさっき申し上げました。ただ二元的に給与が出ておるということを指摘せんと考えまして、この説明をしたつもりでおりますが、あらためて二重取りという言葉だけを取り出しておっしゃられれば適切ではなかったと思います。
真実でないことを幾ら言われましても、相手を軽べつするだけで、自分では何とも思いません。形の変わった給与の二重取りみたいなものだからということを、そのことは、私自身の主観はさっき申し上げました。ただ二元的に給与が出ておるということを指摘せんと考えまして、この説明をしたつもりでおりますが、あらためて二重取りという言葉だけを取り出しておっしゃられれば適切ではなかったと思います。
二重取り云々という言葉は、法律的に、道徳的に許されないことをしているというように解するのが良識的な言葉の使い方でありますから、私が帯廣で言った二重取り云々という言葉は間違いであって、大臣としてまことに遺憾でありました。今後、用語にはとくと注意いたします。
中教審の答申の線に沿って実施できまするもののうち、緊急と思いますことを拾い上げておるのであります。むろん総合的には答申を全面的に検討を加えまして、あらためて処置すべきことがあるということは当然でございますが、急ぐものは、部分的にでも実行できるものは実行したいという考え方と、特に科学技術教育の充実につきましては、従来の計画の線に沿って充実していく。そのことはまた趣旨から申しまして、中教審の答申の線にも沿っておると申し上げられないことはない。さような考え方で今度は提案いたしておるような次第であります。
中教審の委員のメンバーには、いろいろな方面からの方がおられることは御承知の通りであります。経済界方面から、経済界だけの立場に立った特別の注文に応じて、注文生産みたいなことをやる意思は毛頭ございません。あくまでも法律に基づいて設置されました中央教育審議会全体としての設置目的の立場に立った、総合的な答申が尊重さるべきだ、そういう考え方で答申も受け取っておるような次第でございます。今後さらに文部省自体としましても、中教審の答申を基本線としまして、検討を加えていきたいと思います。
それらを含めて、今申したように、もっと検討したいと思うのであります。現在の新制大学の趣旨を否定しようとする考えに、文部省自体には全然ありません。中教審の答申にも、そういう考え方が盛られておるとは理解いたしません。ただ方法としまして、四年制の大学、それにはすべて修士課程、博士課程の大学院を置いて、全部がたとえば東京大学と同じようにせねばならぬということは入っていないと思います。それはそうしていけないという趣旨でなくて、現実に七十二の国立大学ことごとくを、実際問題として、そうすべきかいなかという角度からの、ニュアンスの違いが現われておるとはむろん思いません。あくまでも大学の目的というものは貫かれなければなるまい、学校教育法に指定する方向
学校教育法に定めております根本原則とでも申しますか、大学設置の目的というものをかえる意思はございません。
御指摘の通り所得倍増計画という角度から科学技術者教育を見ました場合に、計画上十七万人を必要とするが、そのためには、高等専門学校は当初ございませんでしたけれども、後ほどそれを含めまして入学定員を増加していかなければならない。当初一万六千人の計画をいたしましたのは、教員組織の充足がなかなか容易でないということのために、現実問題として一万六千人計画たらざるを得なかったわけであります。その後各大学の実情も変化がございますと同時に、民間からの教員組織充足のための要員もある程度期待できるというふうなことも考え合わせまして、御案内のごとく二万人の入学定員を目標として整備していこうという考え方に立って今日に参りました。ただしこれは文部省だけの考え方
科学技術者養成という先刻お答えを申し上げました点だけに立って申し上げれば、先ほどもお答えしましたように数としてはどうやらいいのだということになりますけれども、もともと各都道府県単位に一応考えてみましても、日本の都会地ないしは農村地帯いずれにいたしましても、産業構造の変化に応じ、世界の趨勢に応じて従来の状況を墨守していくことは困難だと考えられるわけでありまして、そういうことからいって、今の考え方としましては、当初も申し上げました通り、できれば各都道府県一校見当のものが高等専門学校という形の教育施設の配置としては一応考えられる構想ではなかろうかという考え方に立つのでありまして、それがあわせて所得倍増という一つの政治目標ともにらみ合わせて
政務次官の考え方も一つの意見であろうかと思います。しからば政務次官の意見通りに文部省としては方針を確定しておるかということでございますと、確定はいたしておりません。一つの意見であると思います。同時に、このしわ寄せを国立の大学あるいは今御指摘の高等学校であれ、小中学校でも、幼稚園でも理屈は同じことと思いますが、そういう学校施設を整備するにあたって末端にしわ寄せをする、あるいは、住民個人にしわ寄せをすることが当然だ、そういう考えはございません。ただし明治以来戦後、今日までそういうふうなムードがあり、そのムードの上に立って実際上そういうことが行なわれていることは否定いたしません。現実がそうであるということと、それに対する御批判の上に立って
ちょっと政務次官の御答弁の前に、それに触れてお答えした手前もございますから、政務次官にも聞いていただく意味で、もう一ぺん繰り返して申し上げていただきます。 政務次官が、今、村山さんが言われましたようなことを言われたといたしましても、一つの意見だろうと申し上げました。その政務次官の意見そのものが、しからば文部省の総意であるか、こうなると、その意味では必ずしもそうじゃないということをお答え申し上げたわけであります。そこで、さっき政務次官にお尋ねになるお話になりましたことに、くどいようですが、簡単にもうちょっと蛇足を申し上げさしていただきます。 これはもちろん文部省がどうするという課題でもございますけれども、あくまでも政府全体で総
先刻それに触れましたときも、むろん議論のあるところですがと前置きをして申し上げたゆえんでもあります。お説の通り、受益者負担の観念そのままを、そのものずばりで適用できる課題であると私も思っておりません。ただ幾らか類似の点ありと申せば、道路建設をやったと仮定いたしまして、その道路は、地域的な受益者負担の協力を得てできましても、天下の公道として通用する意味においては、やや似た意味のものがあるのかもしれないというだけでありまして、これこそ文部省がそういう見地に立って、自治省とやんやんいっているわけでも何でもありません。言わんとする要点は、もっと民間浄財が教育施設等の充実に流れ込みやすいようにするということもあわせ考えるべきであろう、その一つ
いつかもお答えしましたし、今大学局長からも申し上げましたように、御指摘の通り大学の入学試験が、有名大学が特にそうだと理解しますが、一番不合理と言ってはしかられましょうけれども、納得のいかない節々があるとしろうとながら思います。それらのことを中教審でも数年越しの御検討の結果が、大学入試のことについてのある示唆を与えられたゆえんであると思います。まさしく一つの試みとして抜本的な弊害除去の一つの手段であろうと私も思います。そのゆえに、すでに御案内の通り公益法人の設置が具体化しまして、その準備作業に着手するというような段階になっておることは、私は非常に希望を持って期待しておるのでございます。御指摘の通り、学者的な、あるいは教育研究所の学問的
三十九年度以降生徒が激減して参ります。現在も減少しつつありますが、激減いたしていくということは御指摘の通りでありまして、いわば生徒急増のピークが高等学校に移って、小中学校の方では、生徒数が減るから、生徒数に応じて編制された学級編制なり教員定数というものが検討されなければならぬ段階にきておることは御指摘の通りでございまして、そのこと自体文部省として御指摘の趣旨と同感でございます。ただそれをどういう内容にするかにつきましては、今具体的に検討を進めておる段階でございまして、いつぞやこの委員会のお尋ねに応じてお答えしました通り、理想的な状態がどこだということは即座には申しかねる意味もございますが、学級編制の希望を四十五人と目安を定めまして、
ILOの結社の自由委員会の結論によりますれば、在籍専従制度というものは、ILO八十七号条約批准と同時に、日本政府が、法律を改正して廃止しようとする、そのことが妥当であるという結論であると私は承知します。それが正しいという前提に立って考えます場合、在籍専従者の現在の制度は、むろん、法律制度に基づいて実施されておることですから、ILO関係の考え方に立ちますならば、本来は、望ましい姿じゃない、組合のことばかりやって、本来の教師の職分を果たさないという、その実態からいえば、組合がまかなうべきことがあって、国なり公共団体がまかなうという建前は、それはILOの常識からいっても適切じゃない。そういう意味で考えれば、いわば、組合と国または公共団体両
私はILOの考え方が常識的だと思います。元来専従者が組合のことばかりやって、本来の教師としての職分をやらないという実態があります場合、昔なら、御用組合的な意味において存在したと思います。今、経過的に、日本ではそれが、御承知のとおり制度として認められているから、現実の二重取りでけしからぬ、これは刑法上問題にすべきじゃないかということなどではむろんありません。ILOの結社の自由委員会の結論を紹介するに関連をして、なぜILOが、しからば日本政府が、条約批准と同時に、国内法を改正して、専従制度をやめようとしている意図を持っていることが妥当であると言ったか、その意味を解明する考え方に立って、いわば実質的に二重取りという格好になる、それが望まし
外国の例は具体的には存じません。
外国の例は調べればわかると思いますが、私としては知らないということを申しているのであります。外国の例はどうでありましょうとも、本来のこの民主的な組合のあり方というものは 組合という別個の法人格を持った団体としては、その仕事だけをやる人は組合みずからの使用人であって かりに、たとえて言いましても、会社に籍を置きながら、会社から給与を受けつつ組合の仕事ばかりして、組合からも給与を受けるという姿は、これは御用組合の姿だと思います。これは常識の範囲のことだと思うのですが、そういう常識は世界的にもあったのだと、ILOの結社の自由委員会の良識も、われわれの常識と同じであったのだということを知れば十分だと思います。外国のどの国で、どうこう、あるか
今も申し上げましたように、私が個人的に考えるということでなしに、政府として、そういう考え方に立ってILO八十七号条約批准と同時に国内法を改正して在籍専従者制度を取りやめようということにする、(「二重取りとは何だ」と呼ぶ者あり)そういう理由の根拠の一つには、今も申し上げたとおり、(「質問に明瞭に答えなさい」と呼ぶ者あり)在籍専従者というのはむろん諸外国にもあるでしょう。日本にも現にあるのでありますが、そのことそれ自体が、いわば御用組合の姿の残滓が残っておる姿だと、これは私は間違いないことだと思います。また、そういう見地にも立って在籍専従制度を取りやめることがより民主的な姿になるという考えも考慮に入れて国内法の改正を考え、その法案を出し
いや、現行法で認められておることは注釈を要せずして明らかであります。(「委員長、答弁になってない」と呼ぶ者あり)けれども、より民主的な姿にするという考え方に立てば、国内法を改正したほうがよりりっぱになる。それは政府みずからが何回も法案として提案していることで、御案内のところでございます。それをILOの結社の自由委員会が審査した結論が、日本政府の言うことのほうが妥当だと、ということを御披露しておるわけであります。
管理者を責めるべきじゃないかというお話は、お気持はわからぬわけじゃございませんが、そのことを問題にして話しているわけじゃないのであります。現行制度上専従者というものは法律上認められておる。そのことに一点の疑いもございません。問題は、その在籍専従制度を政府側が廃止しようとする法案を出しましたことをとらえて提訴した。それは既得権の侵害だから専従制度をやめるような措置を講じないように日本政府に勧告方を要請する角度からの訴えを起こしましたでしょう。それに対するILO結社の自由委員会の見解を御披露に及んでおるところであります。そうすると、ILOの結社の自由委員会の見解は、元来、在籍専従制度というものは、日本政府の言うように、八十七号条約批准を