その物語っていることについての批判をするということは、そのこと自身別個の問題であって、それは私の自由であり、私の責任において啓蒙するという責任を感じておるからやっているわけです。
その物語っていることについての批判をするということは、そのこと自身別個の問題であって、それは私の自由であり、私の責任において啓蒙するという責任を感じておるからやっているわけです。
団体というものは、国にとれば主権者のようなものだと思います。その総意によって存在しているそのメンバーに対して、面接公開の席で忠告を発することは一つの方法だと思います。同時に、国会を通じてものを申し上げることが最終的な私の責任ある発言だと思うのであります。そういう心がまえで今日まで批判をし続けております。
批判が即忠告であります。
まあ一つの方法だと思います。同時にまた、組合員なら組合員全体に公開の席で批判を通じて反省を求め、忠告をするというのもまた一つの方法だと思います。その方法をとっておる、こういうことであります。
今申し上げましたような考え方で、一つの方法をとっているわけですが、その公開の席で大衆に訴えるやり方でやるほうがベターだと思っているからやったわけです。かつて私は、日教組の代表者と文部大臣が話し合いか、会見をされた場面をテレビで見たことがある。それはほんとうのまじめな話し合いの場ではないということを印象づけられております。そういう性格を持ち、そういう方法をとると考えられる小林さんの言われる代表者という人との話し合いというものは、これを意味をなさない。それよりも、むしろ教員大衆、国民大衆に直接その誤りを指摘し、反省を求めるやり方こそベターだ、こう考えましてやっておるのであります。
破壊するなどということを考えること自体が私は違法だと思います。そうでなくて、その適法に手続上存在しておる日教組という集団の心がまえに誤りがあるから、考え直したらどうですかということをいっておるのであります。考え直したならもっとりっぱなものになるということを期待しております。
それは私はそうは思いません。代表者という人と会って話をするのも一つの方法だと思います。忠告をするのも一つの方法でしょう。大衆に訴えるのも一つの方法です。それはあくまでも私の権限でつぶすとか、つぶさないとかということを言える立場でない、そういうことは言えないのであります。その性根をひとつ直してもらいたいということを要望しておるのであります。
私は元来、今申し上げたとおり、日本教職員組合という、地方公務員法が認めておる全国組織を作ることを妨げないという規定に基づいて存在していることを否定した覚えはいまだかってない。ただその倫理綱領の誤りは改めてほしい、改めればもっといいものになるであろうということを期待しておることを私の言動を通じて今まで申し続けておる。
今申し上げたとおりの心がまえでこの問題に対処しております。
ぶっつぶすなどということを考えたことはありません。性根を直してほしいということのみを申し続けております。
両方でございます。
私の心理的な立場からいえば、全然別個であるということもあり得ますが、現実問題は一人二役ですから、両方の立場に立って私は言っておる、こう申し上げるほかはないと思っております。
両方でございます。
私はしゃべりますときに必ずそのことは言っております。日教組という団体、集団そのものの存在をどうするという権限は私にはない、ただ私の願いは、地方公務員法に基づいて存在している日教組の倫理綱領、掲げる倫理綱領の意図するものが私は間違っておるということを訴えて今日に来ております。
ちょっと済みません、もう一ぺんおっしゃって下さい。
これは先刻来申し上げておりますように、地方公務員法に基づいて公務員法の規定に従って存在しておるものですから、そこでその存在を否定するかどうかという立場、権限というものは文部大臣にない。その基本線に立って常にものを申しております。
日本の共産党もソ連の共産党もツウツウだと私は解しております。そのことは先年、この文教委員会でのお尋ねに対しましてお答えを申し上げました根拠に立って申し上げております。
いわば一心同体のような動きだと、こういうことであります。
共産主義を奉ずる者でないならば言わないであろうような内容が私は倫理綱領とその解説書を通じてつかみとれると、こう思っております。
大体、共産党というのは各国にあるようでありますが、どこの共産党などと特別にいう必要のない共通なものだと思っております。