三十九年度から計画的な政令廃止に着手する、これはお約束申し上げてよろしゅうございます。
三十九年度から計画的な政令廃止に着手する、これはお約束申し上げてよろしゅうございます。
それはちょっと明確に申し上げかねます。先刻、学級編制の定数を五十名以下、たとえば四十五とするについて、何年くらいでやるかというお尋ねにお答えするにつきましても、大体五年くらいの見当という気分を申し上げたので、それ以上のことはこの問題についても申し上げかねると思います。しかしながら、前向きに計画的に解消する努力をする、それだけはお約束できます。
今御指摘の点は、当然そういう方向をたどるような努力がなされねばならぬと思います。
正確にお答えするほどは聞いておりません。
計画的には盛られていないと承知いたします。そうだとしまして、一般的な、基本的な態度としてどうだというお尋ねのようでありますが、これはちょっと常識的なことしか申し上げられませんが、僻地におきまして無医村があった場合には、むしろ厚生省の所管の問題として無医村を解消するという課題が先じゃなかろうか、僻地における学校の児童生従数よりも住民の数が多いでしょうから、その住民の数の多いことに重点を置いて無医村解消というものがまず考えられる、それが順序じゃなかろうか。そのお医者さんが学校の養護教諭の代理みたいな機能を果たしてもらうということも現実問題としてやむを得ないのじゃなかろうかというふうに受け取れます。
認めないわけではございませんか、限りある養護教諭の養成状況——看護婦すらも足りないで、厚生省では大騒ぎしているという実情に立って考えます場合、先刻申し上げたとおり、まず無医村解消、続いて、できるならば僻地学校にも、一つ一つどの学校にも養護教諭が配当できるようにと、気持はそうでございますが、おそらく百年河清を待つような状態ではなかろうか、現実の問題は。そういうことを念頭に置きましてお答えしたわけでございまして、理想的に言えば、お医者さんもおってほしいし、養護教諭もあったほうがいい、そのことには間違いないと思います。しからば昭和何年にそれが実現できるかという、計画的な解消方法を考えようにも考えようがないくらいにむずかしいことだろう、事実
検討はむろんいたさなければなりませんが、さっきも申し上げましたように、現実的な解消の線までたどりつくのは容易なことではなかろう。さりとて、それを無視するのではもちろんない、かように考えます。養護教諭を大規模学校に配当しますにつきましても、まず養成のことから考えなければならぬということに考え及びまして、その養成の施設を充実したいということに着手しようとしているわけでございますが、それがだんだんと年を追うて養成の効率を上げるようなふうに努力が続けられて初めて到達する問題と心得ます。
特別に検討いたしておりません。というのは、私の理解に従いまするならば、御指摘のような問題は地方財政一般の問題ではなかろうかと思います。僻地なるがゆえに財政負担力が弱いということは、交付税制度それ自体に当然含まれる課題でございまして、教育の面だけから、僻地なるがゆえに、僻地にあらざる市町村、公共団体と差別をして補助率を考えるということは、第一義的には当然出てこない課題ではなかろうか。財政力の負担が弱いが、一般行政レベルを上げなければならねという課題は、地方財政の面からとらえて、僻遠の地であるがゆえに国としてはむろん考慮すべき課題とは思いますけれども、教育プロパーの立場から当然に導き出される課題ではないのじゃないか。教育に対する僻地手当
教育効果などという専門的な用語で表明されるような内容を裏づけしたことを私申し上げる資格はありませんが、学級編成は、一般的にいいまして、数が少ないほどいいだろうということは言えるかと思います。あとは現実に国家財政なり地方財政等の負担力、あるいは諸政百般の中に占める教育の重要度というものを現実に実行できるか否かという点から見てどう把握するかということが、私の申し上げた考えの裏づけの課題でございます。
できれば一対一対で教えるのが一番いいと思います。
大体向かいつつあると判断しております。
反省と申しますか、よりベターな案は、わずかながらでも補助金を出してやるやり方がベターであったろうという気持はあります。ありますが、その補助金制度で意図する事業量と同じものを交付税と起債財源の裏づけでやるならば、それもまた一つの方法だということで、この正月、政府としては態度をきめました。したがって、問題は、起債財源と交付税財源の裏づけが同じように行なわれるかどうかというのが問題の焦点だろうと思います。それにつきましては、今政府委員からお答えしたかとも思いますが、知事会側と自治省と文部省とで、三者で数字を持ち寄りまして、これを事務的にずっと詰めております。新聞紙等に伝えられます数字の中には、いわば急増対策と考えられない部面が相当にあるよ
数字的に政府委員からお答えいたします。
今政府委員から申し上げたとおり、起債財源の追加割当及び交付税の補正、それが満足されなければ前向き姿勢が一部くずれまして、三十八年度に持ち越されるということがあり得ると思います。
御指摘のとおりに努力いたしたいと思います。
これはひとり工業教員養成所のみならず、教員養成大学に通じても指摘できる一般的傾向だと思います。工業教員養成所に、ある程度その現われ方がきびしい状態になっておろうかと思いますが、いろいろ原因もございましょうけれども、これは教員の待遇の改善ということもむろん根本的な課題の一つかと思います。それは当然に経済界の人材の要望が熾烈なるがゆえに、そのほうへいい者が抜かれてしまう。入学するときから、これと思うものは教員養成の学校等にいかないで、ほかのほうを選ぶというふうなことも関連しておろうかと思いますが、先刻御指摘のようなことを極力整備することによって、かつまた、入ったものに対する使命感をさらにかき立てることによって幾らかでもその欠陥を補ってい
教員養成所が学校教育法に言うところの学校でないことは初めから明瞭なことであります。当面の教員不足にちっとでも早く応じたい、そのことが学校で学びますところの児童生徒に対する当面の緊急の課題でもあるということから生まれ出ましたのが教員養成所でございますから、これを四年制に改める考えはございません。それは四年制の大学で教員が充足できるかどうかということとのにらみ合わせで考えらるべき事柄と思いますが、当分の間、この養成所は御指摘のようなことを充実して、入ってきました学生、養成所の生徒に対しまして無用の卑屈感やら自信喪失感情を起こさないような考慮を十分にして、その努力を積み重ねることによって生徒たちの要望にも沿いたいと、かように思います。
差別待遇をする意思はございません。現実問題としましては、一挙に大学がたくさんになりまして、旧制もあれば新制もあるという状態のまま満十五年を経過いたしましたが、予算的に見ましても、過去の実績主義と申しましょうか、沿革的な姿そのままで今日まできておるわけであります。それを画期的に根本から予算の問題としても考え直すという時期が今までこなかったということかと思います。したがって大学問題全般についての諮問が行なわれ、その答申を待って初めて大学問題一般のことが戦後初めて再検討される機会がくるというふうなことでございますので、今御指摘のような点は、現実問題としては三十九年度以降にしか着手できないというのが率直な実情だと心得ております。
認証官制度を思いつきましたのは、認証官にすれば大学教授がえらくなるという考え方ではございません。いつかの委員会でお答えしたかと記憶しておりますが、現在の人事院における給与表の考え方の基本線は、全体のレベル・アップということを念頭に置いて考えます場合には、たとえば大学教授ということを例にとりました場合、外交官、司法官と比べまして、大学教授とりました場合、認証官という扱いがないがゆえに、現在の号表をそれ自体全体としてレベル・アップするという考え方は出てこない。外交官あるいは司法官が大学教授よりもえらいから、あるいは生活費がかさむからよけいにせにゃならぬということでなくして、認証官という制度があるから、そうでない職域の俸給号表よりもレベル
一般論としてはそのとおりでございます。