そのとおりであります。
そのとおりであります。
これはまあ一般論として申し上げれば、読んで字のごとく解するのが当然だと思います。すなわち能力に応じて教育を受ける権利を実施できるような条件を整備する責任を政府の立場においてもベストを尽くしてやらねばならぬ、そういう宣言だと思います。
そういうような表現は、前の法律制定のときの提案理由その他にもあった言葉と思いますが、全国民の血税によって直接にあがなわれたものが無償で児童、生徒の教科書として与えられるという、その形は、直接法で言いまして、児童、生徒に全国民的な立場で考えてもらっておるという考えを呼び起こす一つのようすがであることは疑いないと思います。そういう考え方を涵養することも、義務教育課程において特に重視されねばならぬし、されつつある事柄でありますから、それにいささかでもプラスを加える方法として考えられる意味合いを述べたつもりでございます。
この点は、いわば法律以前の問題とも言い得ると思います。教育はすべてそうでもありますが、特に義務教育、がんぜない子供たちを育てる場所である義務教育の場において、日本の教育である限り、また日本人が血税を出してまかなっておる義務教育の場において、児童、生徒たちが、がんぜない子供のころの意識ではあるにいたしましても、自分は日本人だという意識を持つことは、これは当然のことであって、望ましいことであって、強制されるとかせぬとか、権利とか義務とかいう以前の必然的な課題であろうと思います。例外なしに、何人といえども、自分の子供が日本人であるという意識を持ってスタートしてくれることを念願しておるわけであります。その点をとらえまして教科書無償ということ
私は、この教科書無償が、文部省とか政府とかいうものから児童、生徒に下されものだから感謝されるであろうということを申し上げているのではないのであります。あくまでも主権在民、いわば子供たちの親たちである主権者たる国民が血税を出して、国権の最高機関たる国会において予算も法律も審議され、言いかえれば、主権者の代表としての立場においてみずから定めたものを、全国民の名において児童、生徒に与える、いわば自分の金で買ったものを自分の子供に与えるのと同断だと思うのであります。感謝すべしとか、するなという概念は一つも私は連想いたしません。ただ、そういう今申し上げたような仕組みで、今までおっかさんやおとっつぁんのがまぐちからもらった金で買っておった、それ
それは、そういう期待が持てるであろうということでありまして、そのこと、その期待それ自身が、文部省の期待とか、文部省の役人の期待ということでなしに、日本人である限りは、例外なしにそういう期待を持っておられるであろうという推測に立って、無償ということから導き出されるであろうところの一種の効果、副次的効果があるであろうという推測なり、期待を申したところでございます。これは、憲法それ自体が日本国憲法というがごとく、憲法のあらゆる条章、それに基づいての教育基本法であれ、学校教育法であれ、凡百もろもろの法制というものは、これはすべて国民の意思によってきまることでありますから、教科書無償そのことが、日本人としての自覚を呼びさます、あるいは誘導する
その御指摘のような言葉はむろん入ってございませんが、教育の目的は教育基本法にもいいますように、一つの人間形成を目標としなければならないという趣旨のことが書いてあると思います。その人間像をどういうふうに表現するかは種々雑多な、憲法、法律の範囲内においての表現の仕方であろうかと思います。お説のように、万遺漏なき表現をするとなれば、憲法の関係ある全文から、条章から、あるいは教育基本法から、あるいは学校教育法等もろもろの憲法以下の法律について表現しておるものすべて並べ立てなければ十分でないことはもちろんわかりますけれども、現実問題としてそういうことはできませんので、最も基本的な教育基本法の基盤をなす、前提条件をなすことをとらえて表現するのも
私は日本人に限らず、どこの民族といえども、その国の国土、その民族の一人であること及びその民族の持つ文化というものに取り巻かれて存在しておると思います。いわゆる運命共同体の一員である民族国家なるものは、すべてそうであると思いますし、そういうことは、憲法とか教育基本法ではことさら言わないでも自明のことだと思います。具体的な文言等ではうたっていないと思います。その上に立って個人の尊厳があり、個人の自由があり、もろもろの基本的人権、自由権等があって、初めてその憲法の基本的人権、自由権も生きてくるものだ、これは憲法以前の課題だと思うのでございます。
そういうことを一応とらえまして、少なくとも一つの重要な目標であるという考え方に立って、むろん先ほども申し上げましたように、憲法なり教育基本法にいうところの、述べておるところのもの、それと総合されて初めて一本になるとむろん思いますが、憲法、教育基本法の欠陥ということでなしに、それ以前の基本的な課題として、それをとらえることによって人間形成の比較的具体的な姿を現わそうという意味で表現をしたのでございます。
豊瀬さんも私が今申し上げた提案理由等に書いておるような事柄は自然的な意識だ、あるいは条件だというふうに言われましたが、それと似たような気持であります。表面切って、憲法ないしは教育基本法の趣旨に反する課題ではない、むしろそれ以前の問題である、そういうふうに心得るわけであります。繰り返し申し上げますが、教育基本法なり憲法の趣旨に異なったことを、ことさら言おうなどという大それた考えはむろんございません。学校教育法等を見ましても、そういうふうな趣旨の規定がないでもございませんが、法律論に対して直接法ではお答えになりませんけれども、たとえば、小学校の学習指導要領におきましても、「人間尊重の精神を一貫して失わず」云々ということはむろん書いてあり
指導要領、教科書はもちろん憲法、教育基本法、学校教育法を主として、そういうものにのっとって、そのらち内において定められ、実施さるべきことは当然と心得ております。
そういうことは考える必要もないことだと思います。
これは無償ということは共通でありましょうとも、具体的な方法としては、経費の分担の方法として、国が全部持つ方法、地方公共団体も分担する方法が考えられるわけでございます。それも調査会待ちで検討してもらったほうが妥当であろうということで、調査会に対する諮問事項の一つに予定しているような次第であります。
文部省の立場でこれもありたいということはございます。それはむろん全額国費で持ったほうが望ましい、こう思います。ただ、それを調査会待ちにいたしましたのは、政府内部におきましても議論があり、また一般的にも議論がないわけではない。外国の例を見ましても、そういうふうな例があるとも聞きます。そういうことに論議を費やすことによって、時間的にも遷延して、またいつのことかわからないようになることをおそれまして、そうして文部省としては、今も申し上げますような望ましい姿は念頭にございますけれども、調査会で十分検討を願って、賛否大いに戦わしてもらって、議論の帰するところに従いたいものだということにいたしたのであります。なお追加して申し上げさしていただけば
そのとおりでございます。
先刻も申し上げましたように、義務教育諸学校の教職員の俸給の分担のやり方もございます。そのことが全然無価値だと言いかねる意味合いもございます。全部国が持つが、分担の方法だけを、この前の失敗に顧みて、失敗しないようなやり方の一種でもあろうと思われる教職員の俸給の分担のやり方ということとの比較考量を調査会待ちにしたほうが妥当である、こう判断しまして調査会待ちにいたしたのであります。しかし、できることならば、先刻申し上げましたとおり、全部国費で負担しましたほうがより適切であろうとは思っております。
調査会は、関係各省の者も委員になりますが、大多数は民間の学識経験者によって構成されます。そういう構成の二十名の良識を待って判断してもらったほうが妥当であろうし、早道だろうとも思われぬじゃございません。そういうことでございまして、無償とするということはむろん微動だにもいたしません。これはもう法律の建前からいって当然でもございますが、ただ、方法だけに論議を尽くしたほうがより妥当だ、少なくとも方法論としてそのほうが妥当だと考えましたので、調査会待ちに期待しておるわけでございます。
予算措置は、これは量的な問題だと思います。緩急軽重それぞれあります。庶政百般の中から、教科書無償については、三十八年度、第一学年に入学する児童に対する教科書を対象として予算措置をしようということにならざるを得なかったということであって、あえて調査会待ちを必要としない、政府部内だけで結論を出し得る範囲でございます。調査会は、単に今申し上げたことだけでなしに、毎々申し上げておるように、教科書会社のあり方、配給方法も、今のままでいいかどうか。あるいは児童生徒に交付してしまうやり方もあれば、諸外国の例を見れば、学校備付等の貸与方法もある。そのどちらを選ぶべきかということも、調査会でひとつ検討してもらった結論に従おう。そのことがより民主的であ
法律に基づいて作られました調査会であります限り、尊重することは当然と心得えます。
そのとおりでございます。