その通りでございます。決算委員会のときのお答えは、何か私が前提を誤解したためかと心得ます。本日のお答えが私の気持であることを再び申し上げて、御了承を得たいと思います。
その通りでございます。決算委員会のときのお答えは、何か私が前提を誤解したためかと心得ます。本日のお答えが私の気持であることを再び申し上げて、御了承を得たいと思います。
ただいまのお尋ねにつきましては、私自身念頭にははっきりしたものはございません。
その通りでございます。
英才教育が目的であることは当然ですが、その条件としては、さっき申し上げましたように優秀であることと、経済的条件とが一緒に、対等に考えられて結論が出る、こういう建前が日本の今の育英会法の建前かと思います。その建前に立って申し上げているわけでございますが、経済的条件が恵まれないが、しかし優秀である。しかし、それを埋まらせるには国家的に考えてもったいないことだから、それを発掘するというところにウエートがあろうかと思うのでございまして、従って国費でまかないまする以上は、その状態から抜け出して、能力に応じて最高までいけるという道を開くことが機会均等の意味における施策の中心課題であると思うのであります。それは結果的には先ほど来御審議願っておりま
ちょっと私にはにわかにわかりかねますが、矢嶋さんの言われておりますお気持はわかるような気がいたします。ただ問題は、何が最も正しいものであるかということをタイムリーに発見できるかどうかということにもかかろうかと思うわけです。少なくとも育英会法に規定しておりますように、優秀であることの確認、家庭の経済事情の確認、それがまず先決問題、それに今おっしゃるようなことをどういうふうに按配したならば最も適切であろうかということは、ちょっと私もわかりかねるわけでありますが、最初申し上げたように、お話の気持はわからないでもございません。要は、そういうことを十分検討を加えてへんぱなことのないような実現性のある、ものさしみたようなものを作ることは必要であ
お答え申し上げます。午前中お答え申したのと同じことでございます。特別奨学制度を創設もしくは拡充するということは、まあ主として社会保障制度の充実という角度からの考え方が重点的に入ったわけでございまして、だからといって一般奨学が今のままでよろしいとはむろん思っておりませんので、この方の充実にも今後努力したいと思っております。
矢嶋さんの御意見に同感でございます。
午前中お答えを申し上げた程度以上のことを今ちょっと申し上げかねますが、繰り返し申し上げますと、遡及するということ、これは私も同感の点がありますけれども、一体考えると、ことしの三月卒業する者だけにとどめるのか、遡及して一体どこでとどまるのかということも問題でございますし、また、事務的にも相当繁雑になることも必至でございましょうし、そういうふうなことを考えあわせまして、遡及することは結論的には適切でないように考えます。
先刻来申し上げておりますように、矢嶋さんのおっしゃるお気持はわからぬではございません。人情論としてはまさしく一貫した御意見だと思います。ですけれども、まあおおよそこの問題に限らず、国民の利益になるような立法が新たに行なわれました場合に、改正されました場合、理論的には同じことじゃなかろうかと思います。冷酷むざんなように一見見えますけれども、しかし、また遡及することによって生ずる錯雑な事務等が現実問題として処理しにくいということがあり得るでありましょうし、そういう意味合から、おっしゃることはわからぬじゃございませんが、私どもとしましては、今出して御審議願っておる線が妥当ではなかろうかと、こう思うわけであります。もとより言うまでもないこと
結果は、矢嶋さんにしかられそうな程度でありまして、もちろん満足ではございませんけれども、概略、今までよりもワクとしましては倍くらいのものが期待できるんじゃないかというふうに一応推定いたしております。具体的内容につきましては、説明員から申し上げることをお許しいただきます。
午前中もお答え申し上げましたように、それぞれ沿革なり、使命なり、実態なりというものを判断して処置すべきものと思うわけでございまして、方向としては、給与の是正、向上に努力することはこれは当然のことでございますが、そういう意味で検討させていただきます。
責任を持てると思います。
私いつも申し上げているのですけれども、大学教授を初めとして教職員に人材を得ることは、これは基本的な重大課題だと心得えます。その意味において、あらゆる角度から待遇の改善をはかっていく必要があると考えておる次第でございまして、微力ながら今後も努力したいと思っております。
説明員から御報告いたさせます。
お答え申し上げます。大体こういう入学試験のことは、御案内のごとく、大学のそれぞれの自主的な処理にまかせてある。制度上はそういうことになっておると思います。一般に入学試験については適正を期するようにということは、一応の制度も一般的にはできておりまして、その趣旨はむろん各大学に徹底しておると思います。従って、一般的に申し上げれば、文部省としての従来の処置は適切に行なわれておったと申し上げてよいと思います。ただ、具体的には御指摘の通り続々と近来遺憾な事柄が起こります。起こることそれ自体は、各大学のやり方がまずかったからそういうことになったのだと申し上げるほかにないと思います。従って、それが一再ならず起これば、どういうところにその欠陥がある
一々のこの不祥な、好ましからざる事柄は、今も申し上げましたように、文部省として具体的にどうするということは不可能であります。一般的に法律あるいは政令、省令等、制度を通じまして、一般抽象的な指導を従来いたしてきているわけでありまして、そのワク内で、こういう問題は大学みずからが責任を持ってやるべきことだと思います。試験問題それ自体の一つ一つは、問題を出す教授、助教授等の担当者の良識に待たざるを得ない。問題の選定に当たりましても、その出した教授にまかせぱなしではなしに、衆知を集めて、万誤りなきを期する責任は、当然、大学側にあると私は思います。そういうことをしたでありましょうが、結果は遺憾な結果になっているならば、大学みずからがその欠陥をま
各大学では最終的な結論はむろん出ていないようですけれども、たとえば九州大学等におきましては、教養学部の部長が進退伺いをし、あるいは誤った問題を出した教授が辞表を提出しておるということを聞いております。しかし、そのことそれ自体、教授会に諮って大学自体がきめることでございまして、その結果がどういうことになるかということを見きわめませんことには、その途中でもって文部省がかれこれ言う立場にはなかろうと思います。また、最終的な決定がありましょうとも、決定そのものをはたして文部省としてどうすべきものか、その点ちょっと私も疑問がございまして、明確にお答えできかねますけれども、先刻も申し上げましたように、文部省として、今度の問題について結果的に何を
ちょっと私も厳密には申し上げかねますけれども、新聞記事を見て私も驚いた一人でございますが、私の乏しい常識では、これはとんでもない入学試験だったなあという感じでございます。もともと受験雑誌に出したような問題を試験問題として出した当該教授の私は常識を疑いたい。しかし、それはそれとして、別途批判さるべき筋合いのものと思いますけれども、入学試験のやり直しということができないという前提に立ちまするならば、その大学として、こうするほかにはないと、衆知を集めて考えました善後処置案以外には何とも具体的には手の打ちようがないのではなかろうか、水増しそれ自体がもってのほかだと私も思いますけれども、それ以外に方法があるならば別ですけれども、受験者本位にも
米田さんの今の御批判もあり得ると思います。思いますけれども、当該入学試験の好ましからざる事態の善後処置の責任と権限はあげてその大学にあります。その大学がそういう方法しかないと判断してそういう結論を出し、現に入学を許可しているという事実は、これはそれを否定して、もう一ぺんやり直しということは考えられないことであろうという前提において申し上げておるのでありまして、水増しがいいなんということをもちろんその意味で申し上げた覚えはございませんが、ただある程度の――その程度がどの程度までが限界であるかということは問題でございましょうが、毎年ある程度の定員内の採用もしくは何らかの都合である程度の水増しというか、今度の場合の予定数以上の入学許可とは
今後もこんな不祥なことが起こるとすれば、第一に私は、大学が自治能力がないと国民的立場から判定ざせるを得ないと思います、という事態に立ち至らないとも限らない。そうせねばならぬということじゃございませんけれども、その意味において、私は大学がそれぞれの立場において自治権を持った大学にふさわしい良識を受り戻してくれということを要望したいと思います。まあ問題を間違った出題をするような先生があるならば、その人の能力を疑わざるを得ない。はたして大学教授たる資格があるかどうかということを国民は疑うだろうと思います。そういう意味で、また大学それ自体が、教授会か何か知らぬが、良識をもってその処置についても厳粛に判断をすべきものと思います。秘密であるべき