今、米田さんのお話の中に論理が飛躍しておる、独断的であるようにおっしゃいますし、のみならず私が自民党員である閣僚だから、何か自民党に奉仕して、国民に奉仕するのを二の次にした文教行政を意図しておるやにおっしゃいますけれども、私はそれは私が至らないがゆえにおそれがあるのかもしれませんが、自分の全力を尽くしてそういうばかげた、誤った、中立をみずから侵すがごときことは一切やるべからずとみずからも反省をし、努力いたしたいと思っておることを申し添えさしていただきます。
今、米田さんのお話の中に論理が飛躍しておる、独断的であるようにおっしゃいますし、のみならず私が自民党員である閣僚だから、何か自民党に奉仕して、国民に奉仕するのを二の次にした文教行政を意図しておるやにおっしゃいますけれども、私はそれは私が至らないがゆえにおそれがあるのかもしれませんが、自分の全力を尽くしてそういうばかげた、誤った、中立をみずから侵すがごときことは一切やるべからずとみずからも反省をし、努力いたしたいと思っておることを申し添えさしていただきます。
大体おっしゃる通りでございます。ただ、ちょっと念を押さしていただけば、たとえば「搾取と貧乏と失業を伴う今日のような社会制度は根本から考え直さなければならない。(綱領第一項解説)」ということで出しておりますけれども、これで、ここに書いてある意味は一応わかるとは思いますが、これについてさらにある種の議論が絶無とはしない。それはやはりもとに返ってみなければわからない部分はあろうかと思います。ほんとうはそういう疑念が湧くであろうことは、指摘しました三つの資料を読み砕いてこれを引用しましたが、これはこんなふうになっておるようだという注釈がなければいけないだろうとは思います。しかし、それはあまりに繁雑になり、三つの資料このままを、これですとお出
教育基本法なり、義務教育諸学校における教育の中立を、守らなければならない趣旨の法律に書いてある通りのことと思います。
学校教育そのものが、教育の場で政治的な意図をもって行なわれてはならないということだと思います。
詳しくは政府委員からお答え申し上げます。
別個のものと思います。
むろん別個の問題と思います。
それは日教組の大会で具体的に共産党と社会党両方を支持する、あるいは社会党でなければならぬというがごとき具体的な決定によって行なわれておるように承知しております。
そうではありません。
倫理綱領にはそのことも心がまえの中の一部にございましょうし、また先刻指摘しましたように、青少年をそういうふうに育成せよという意味合いは、教育の現場においても現実に行なわれるおそれがある、こういうふうに思います。
倫理綱領全体としましては、今申し上げた通りに両方を意図しておると推定されると思うのであります。
それはさっきお答え申し上げた通りでございます。むろん別だと思います。
これはそもそもはマルクスの考えに発すると思いますが、共産党宣言にもあると思いますが、労働者を単に階級ということを考えないで、働くものと意識しないで、プロレタリアートとブルジョアジイとを対立せしめて、相手をやっつけない限りはプロレタリアの幸福はあり得ないとするものの考え方に立った労働者対資本家という対立概念の労働者を意識しつつ、世界の労働者よ団結せよと結び、その上に立って相手を打倒するその考え方を階級闘争、このように考えます。
むろん経済体制の中では対立する立場に原則としてあると思います。ただその労使のいわば利潤の分配方法について、一は階級的な相手をやっつけるという考えでいくか、あるいは議会主義を是認しながら、前進的にその対立の中から公平な分配を求めていくかという相違で、共産主義だ、何だといわれるところのあるいは政党にいたしましてもその信条が分かれてくるものと私は了解しております。
そういうことは考えたこともございません。
そういうふうに理解いたします。ただし、そういう考え方を日教組という団体が性格的に持つこと、それ自身を私は否定しようということは毛頭、考えていない。問題はただ一点、先ほど来長い質疑応答を繰り返しました、政治的に中立であるべき学校の場に、その中立を侵する力が及びはしないかとおそれるという意味において申し上げておるのであります。
その点は御自由だと申し上げるわけであります。ただ、そのやり方が、具体的に申せば社会党的でなしに、共産党的な意図が盛られておるように私は見受けます。しかし、それにしてもそのこと自体がけしからぬという立場には私はないと思っております。ただ、一点繰り返し申し上げますが、教育の中立を侵するとしたら困ると、そのおそれのある点を指摘したにすぎない、そういうことと御理解いただきたいと思います。
階級闘争の一つの手段かしれませんが、倫理綱領の意図する階級闘争の場面はそういう単純な狭いものではなかりそうに思います。ただ、私どもが関心を持ちますのは、その階級闘争理念に立つ革命意識を持って、自由経済ないしは資本主義では解決のできないものを何でも政治的にはやるんだという覚悟のもとに子供を育成せねばならぬといわれる、教育の現場にそのことが具体的に及ぶであろうことをおそれるという点が、懸念にたえないというのであります。
今の憲法は、資本主義も認めておるし、その革新も認めておると思いますが、それはあくまでも、歴史的課題は政治の場で解決する順法精神を徹底して、法治主義でやっていく、こういう建前になっておろうかと思います。ところが、その中で私は、この倫理綱領の意図するところは、社会党も一線を画しておられる共産党的な意図を持っておると判断いたしますが、それがかりに共産党だけでない、社会党も含めた意味であるということにいたしましても、その限られた立場に立って、具体的に教育の場において青少年が、この歴史的課題解決のために、すなわち革命のために私はそれを容共革命を意図しておるのじゃなかろうかとおそれますけれども、ともかくその革命をなさんとする意図を教育の現場に持
これは法治主義を貫き、議会主義を貫いたやり方でやるのでなしに、教師は政治的に中立はあり得ない、政治的には何でもやらなければならぬという覚悟で、しかも資本主義ないしは自由経済ではどうしても解決がつかない課題なんだ、この歴史的課題なるものは。だからその社会のあり方のかなめを取りかえるというようなことまでも考えてやらなければ実現できない、そういうことを倫理綱領一連の資料は、私は述べておると思うのでありますが、そういう考え方、心がまえで教育の場に臨んで青少年を育成せよと命じておるこの倫理綱領は、必ずや教育の場における政治的中立を侵すかもしれないというおそれを抱かせる、こういうことであります。