その通り御理解下さいましてけっこうでございます。
その通り御理解下さいましてけっこうでございます。
本来の教職員組合の本質的ならち内における問題につきまして交渉されますことは、これはあり得ると思うのです。しかしながら、それは、その相手方はあくまでも――教育制度が地方分権の建前をとっておると私は心得ますが、その意味において、やはり任命権者たる都道府県の教育委員会というものに対して、本来の教職員組合として取り上ぐべき課題についてお話し合いをなさるべきであって、それをいきなり、直接文部大臣とお話し合い下さいましても、少なくとも地方分権的な特色は現われ得ないということのみならず、きのう以来申し上げておりますように、それ自身が飛躍しまして、途中を抜きにして適当でない。ですから、都道府県の教育委員会とお話し合い下すって、できることならば、教育
これまた先日申し上げましたように、今の憲法に基づき制定せられた諸教育制度を通じまして、教職員に限らず、一切の公務員が、任命権者のなすところの勤務評定を通じて人事管理がなされることに異存のあるべきはずがない。法治国においてはこれは当然のことであり、少なくとも教職員以外の公務員は、中央、地方を問わず、全部が民主主義下の国民代表たる国会できまりました法律制度に基づく勤務評定に服しておるわけであります。ひとり日教組の、特に指導部からのハッパかけによりまして、教職員だけが絶対反対を呼号された。現にことしの行動方針にも明らかに廃止させるということを御決定になっておる。そういう基本線に立って日教組がやかましく言われるから、文部省との間に不必要に混
一々記録的なことを調査する時間的余裕もございませんから全部を知っておるとは申し上げかねます。申し上げかねますけれども、先ほど来申し上げますように、教職員だけが例外ではないはずですから、そこで、文部省が従来お説の通りのことを申しましたにしても、これは法律を守るということは民主主義の基本原則だ、いろはのいであるから、そういうふうにやろうじゃありませんかという角度から言っただろうと思います。それ以外に、本来の文部大臣が地方分権に差し出がましく言えない。その限度を、らちを越えて言ったことありせば、それは言い過ぎであり、出過ぎであろうと思いますけれども、少なくとも文部省にそういう出過ぎたことをやり得るような心臓の人はいないように思うのでござい
これは、倫理綱領及び初めて教師となる人にということは、これはあわせて総合的に読んだ人で、私が指摘しますように、革命理論というか、階級闘争理念は明らかに書いてある。また、その階級闘争の理念に基づいて、教育の場において、社会革命をしろ、それをモットーとしていくのだということも明らかに出ておる。これを読んで、そう感じ取らないやつは、感じ取らないやつが誤りであると私は思います。破防法を適用されないじゃないかとおっしゃいますけれども、だから憲法に認められておるのだ、それを私みたいに言うことは憲法を軽視しておるのだというようなお話ですけれども、憲法は共産党といえども認めておりますから、(笑声)今の倫理綱領が理念的にこうだということと、破防法を適
常識というのはあくまでも常識であります。それが国民的な常識であるかいなか、国民の大多数がそう思っておるかどうかは何で判断するか、それは私が言ったからそれがきまるものじゃむろんございません。それは憲法に基づいて、主権者が意思を表示する正式の場である選挙を通じて国民の意思は現われると思います。その国民の意思が明瞭にこれを是認しておる、そういう意味で申し上げたのであります。
今の御指摘の点はあり得たと思います。それは、そもそも公務員法を与えましたのはマッカーサー司令部であったことは御承知の通りであります。当時、労働三法も同然ですけれども、当時のマッカーサー司令部の考え方は、あらゆる官公吏にことごとく団結権、団体交渉権、罷業権を与えるという建前であった。そうすることが日本をばらばらにするのに都合がいいとGHQが思ったものですから、そういう法律を与えておった。そのときには、そうしなければ、団体交渉しなければ文部大臣は法律違反であった時代のことであると思います。その後、二・一スト等が出まして、驚いたマッカーサー司令部が法律の改正を要求して、国家公務員は、たしか昭和二十三年の暮れだったと思いますが、百五項目の改
それは応じることはあり得ると思います。しかし、前提があります。純粋の教職員組合ということであるならば、交渉団体じゃないのですから、団体交渉はできませんけれども、お話し合いという場を持ってもしかられることはなかろうと思います。しかし、惜しむらくは、今の日教組は任意団体であることは御自由でございましょうけれども、たびたび申し上げているように、特異の、独特の、職員組合を超越した他の労働組合にもないような独特の理念のもとに団結されております。その代表者――執行部が交渉だ何だとおっしゃいましても、その問題に関してとおっしゃいましても、これは適当でなかろう、そう思います。
お前は憲法を知っているかということからお話が出ましたが、私も日本国民として一応は心得ているつもりでございます。基本的人権、自由権の尊重すべきことも当然のことと心得ております。ただ同時に、基本的人権と自由権は乱用を許さない。社会公共の福祉との関連において、これに貢献される責任を負うという限度内において基本的人権と自由権があると心得ております。さらに、教育委員長会議等で私が冒頭に申しましたことを引用なさいまして、忘れておりはせぬかという仰せでありましたけれども、けんけん服膺して、自分の信ずるそのままを申し上げておりまして、きのう以来申し上げているはずでありまして、明らかにその線に沿って、そのらち内において申し上げているつもりでございます
おっしゃるそのお気持はよくわかるのでございます。で、私が一個人であれば、自分の常識を高める意味においても日教組の委員長にでもだれにでも、こっちから進んででもお目にかかっていろいろなお考え承りたいと思います。しかしながら、文教のこの責任者として、また学校の教職の日教組の構成員五十万とともに教育の面において手を携えて奉仕をする立場にあるわけですから、その立場の者が、公の立場においていわば集団を形成して、団体交渉だ、おれたちはこういう考えだぞという、特異の、普通の公務員という立場からは考えられないような特別の理念に立ったその集団を相手として会うの会わないのとおっしゃっても、かえって事がめんどうになって、責任の帰属が不明瞭になる。それを公の
教職員組合が法上認められている、その通りであります。また教職員組合として本来の教職員組合を作る目的が、今あなたおっしゃったように、やれ給料の問題だ、あるいは労働時間の問題だ、そういうことに通常教職員団体の関心を持つべき範囲内においての交渉団体であることは私もわかります。しかし、その交渉相手はやはり任命権者たる、現場において地域的な教育の第一義的な責任者という立場を制度上とっている都道府県教育委員会であるべきだ、これまたお認め下さることと思います。ところが、実際はどうかとなると、倫理綱領の理念のもとに任意団体、全国団体をお作りになっているのだけれども、それはすでにしてお取り上げになる課題そのものが、テーマそのものが教職員組合本来のテー
憲法は法治主義、議会主義、デモクラシーを基本としている。その趣旨を取り入れまして教育基本法もできております。教育基本法には、教育は中立であるべきと書いてある。ところが、倫理綱領や、「新しく教師になった人々に」というやつを読んでみますと、教職員には中立はあり得ないと明確に書いてあるという前提のもとに団結せられておる方が、その団結の上に立った集団意思を代表しておいでになるという方とはお会いしても結論は出ないであろう。また、そのこと自身が憲法及び教育基本法から流れてくる法律制度には正面から立ち向かおうとする一種の政治団体としてならばわかりますが、政治団体ならば、これはやはり国会においで下さいませぬと、行政府においで下さってもどうにもなるま
教職員組合というのは、いわば経済団体であるべきものと私は考えます。にもかかわらず、日教組の現実のあり方と倫理綱領の掲げるところでは、教職員組合の範囲を逸脱しておるという点において、すでにして教職員でありながら、教職員組合と名づけつつ看板に偽りがある状態じゃなかろうか。現実行動もまさしく法を無視した行動を今までしていらっしゃった、そのことを日教組の執行部はやれやれとけしかけられたことも事実です。そういう現実行動を裏づけとして国民が見てとっている日教組の今の姿は、少なくとも私は今の憲法秩序の法治国としてあるまじき姿であろうと考えます。
目的においてすでに教育基本法にいうところの教職員に中立はあり得ないといっておられることも、私は妥当でない一点だと思いますが、現実の行動も、国民全般が知っておりますように、法を無視した現実行動があった。法秩序を維持することが今の憲法下の法治国の当然の要請であると思いますけれども、悪法は法にあらず式の考え方を持っていらっしゃるかどうかわからぬが、現実には集団の名において法を無視した言動は幾らでもあった。それは私が申さぬでも日教組御自身が御存じであり、国民の大多数が知っています。ですから、そういうことはどうも穏当でないと国民一般が私は見ていると、こういう前提に立ってものを申し上げておるわけであります。私は裁判官じゃございませんから判決を下
それは再々申し上げますように、交渉してよろしいと定めてある事柄について当面の交渉相手たる都道府県教育委員会というものと御交渉なさるのは、これは当然であり、また交渉に応ずるのも教育委員会として当然の責任だと思うのであります。それは一つも否定いたしません。ところが、それについて交渉相手方にあらざる文部大臣のところに、教育委員会をほうったらかして、いきなり直接団体交渉をしようじゃないかとおっしゃっても、教育委員会から私はしかられるでしょう。おれを差しおいてなぜちょっかいしたかとしかられたくないから私はお目にかかりたくない。その意味では、教職員組合として、本来、法が認める、あるいは慣例が認めている限度内の交渉をなさることは、これは当然権利で
民主主義の団体であるとおっしゃるならば、特に教育に関して教職員組合、日教組というものがそうだとおっしゃるならば、その日教組の憲法たるべき倫理綱領なり、あるいは新しく教師となる人にというのに、教育の中立を否定したり、あるいは階級闘争理念を明記したりというふうなことで日教組というものを作り上げないで、そういう前提を抜きにして、今あなたが御指摘になりました法律に規定してある交渉事項というものに限ってお話しになる限りは、これは正式には都道府県教育委員会、または、全国的な問題で団体交渉という立場はお互いにないけれども、何か残った話をしてみたりと言われるならば、それはおのずから話は別ですが、大前提として、どうしても教育の中立は守っていただきたい
私は日教組の、それ自身のよって立つ憲法ですから、全部暗記しておりませんが、その中で述べられておることは、まず労働者であるとおっしゃることすらも私は理解できない。教師であるのが前提であって、知識労働者であるというのが付加されるのならばわかります。公務員というものが知識労働者であることは間違いはない。しかし、教師はあくまでも教師であることははっきりあらゆる法制に書いてある。労働者であるということは日教組が独自におっしゃったことであって、労働者であるがゆえに団結せよ、団結して階級闘争の理念で戦えと明記してある。その労働者認識のゆえに、一再ならず職場放棄その他の事柄が行なわれた。もし、これが物を作る製造工場でありますならば、ストライキをやっ
それは、今おっしゃったことは、新しく教師となる人にというやつの中に非常に詳しく解説を書いてあるようですが、今のお話のごとく、そういう反省というか、過去の体験に顧みての一つの心意気を表わされた意味においてはよくわかります。ただ、労働者であるということは書いてある。教職員であるということははっきり書いてない。労働者というだけでやっていただいたのじゃ見当違いになりはせぬか。従って、知識労働者という立場において、労働者であることは当然といたしまして、それは先ほどもお話が出ましたように、あくまでも教職員労働者の行動半径のうちでであります。それが実際問題としては政治課題をとらえて、あたかも政治団体のごとく行動し、しかも法を無視した行動までも当然
それは項目の一つ一つは私らも賛成するにやぶさかでないことはたくさんございます。ところが、教師は労働者であると単純に断定されているところは必ずしも私どもは理解できない。
一通り拝見いたしました。日教組の執行部においては御自分でお作りになったわけですから、それを信条としていらっしゃる限りは正しいとお考えになっていることは、これはどうも否定するわけにいきますまい。それを一般国民がどうとっておるかということが私は問題だと思います。そのことは、具体的には現実に日教組の行動された実績そのものが物語るのであって、私はそういう角度からものを申し上げておるのであります。倫理綱領そのものがみずから御解釈になり、みずから信じられることを言われればお説の通りであろうかと思います。実際行動はそれを裏切っておる。