大体反感を買つたと思います。そのときせせら笑いの声が聞えたと思います。
大体反感を買つたと思います。そのときせせら笑いの声が聞えたと思います。
私は哲学、心理学をやつて、言葉についてはいろいろな自己流の解釈を持つておるものでありますが、要請というのは、哲学で言えばカントの実践理性の要請という特別な言葉であり、ふだんにおいては私自身としてはあまり用いておりません。第一私の語感から行きますと、要というのは対等並びに上の方から要求する、請というのは下の方からこいねがうというような感じで、あいまいな言葉だと思います。私も主として用いません。ふだんも用いませんし、またそれと期待とどう結びつくか、元来あいまいな言葉ですからわかりません。
デリケートですね。ちよつと強過ぎると思います。
それは強過ぎると私は言わなければなりません。
そうです。確かに主観的な解釈の問題です。
その当時カラカンダの各収容所において、徳田書記長の肖像がべたべた張つてあつた。特に爆弾事件以後徳田の名を知りました。球一という名は知らなかつたけれども、徳田という名を知つた。私自身としてはその場の印象としては、徳田書記長の名前を持ち出して、政治勉強をしつかりやれという励ましと思つたのでありますが、その人たちの心理に即立て言えば、そういうふうに解釈するということもむりはないと思います。
私も要請については興味を持つて和露辞典を本屋で見たのでありますが、要請はありませんでした、要求するというのはトレーボワーテイ、頼む、請求するというのはプロシーテイです。
東京であの事件を新聞で知つてからです。
かなり長くと言いますのは、その以前に九分所にいた日本人がいかに秩序正しく、いかによく働き、いかに多くの民主主義者がいたかということを盛んに述べた、その点が長かつたのであります。
各分所の政治将校とは、一九四九年以来数回会つております。
その前は一分所、十一分所がおもであります。
全部で十数名だと思います。
ある将校とは話したことがあります。ある将校とはあまり話をしてない、いろいろあります。
他の国の共産党のことはあまり聞かなかつたのですけれども、爆弾事件以来徳田さんが向うの方で有名になつたので、徳田さんの名前が話に出ることがありました。
直接掲載というのは私は記憶いたしておりません。ただアカハタの記事がほとんど毎号のように載つておりました。野坂さんの話、志賀さんの話なども載つておりました。徳田さんの話も載つておりました。アカハタの記事だということは、アカハタという字がうしろに括孤して書いてあつたと思います。
径路については私は知りませんが、ハバロフスクに日本新聞社があつた。ハバロフスクの日本新聞社にアカハタが送つて来られるのだろうと思いました。
いつ帰れるかという日本人の質問に対して、いつ諸君は帰れるかとこう受けて、そこから始まつたわけであります。そのあとはそのまま続いて言つております。
ソ連ではコミユニストというのは共産党員だけに限つております。捕虜に対しては反フアシスト、あるいは民主主義者、あるいはそのうちの一部は民主アクチーヴ、こういうふうに呼んでおりました。今帰つて見ますと、現在世界はソ連流の社会主義と民主主義との対立であると言われておりますから、ソ連で民主主義者と呼んでいたのは、実は共産主義者ないし共産主義に同意する者、肯定する者、こういうふうに思います。
真正とついたらそうなると思います。
前のはソ連将校の考え方である。つまりソ連側の考え方である。またあとのが彼氏が推測したのか、実際要請を知つていて期待しておると、うふうに言つたのか、そこのところは私としてはちよつとわからない。