そうです。誓い文というよりも感謝文です。
そうです。誓い文というよりも感謝文です。
誓わせる……。まあ帰るときには帰還者の大会というものをやるわけです。その大会の決議文として感謝を現わすわけです。だから決議文としては、私は各分所のそうした感謝文を訳しました。決議文というふうに訳しました。
誓う文章という、誓いという言葉は用いていたですね。たいていの文章は……。それは各分所の起草者によつて違うわけです。
アクチーヴ……。アクチーヴ・デモクラテイーチエスキイ。積極的な概念と行動の……。
積極的なる活動分子というのでしようね。実際ソ連側のある収容所の分所の政治部将校は、こういうふうに私に言つてくれた。さつき言つた通りですけれども、日本の民主的な改造に賛成し、政治文化、生産の方面からいつて実際に活動しておるものである。
大体各分所の條件によつて違いますが、カラカンダだけに限つて言いますと、各分所とも一、二割ぐらいアクチーヴというのがいたと……。
別に待遇はよくありませんでしたけれども、アクチーヴの者は、作業場においても作業隊長になつたり小隊長になつたり、あるいはまた逆に、小隊長、作業隊長はアクチーヴに準ずる、こういうようになつておるのです。
そうです。その一回の注文きりです。
その意味は全体的に要点をノートしておいて、訳したのです。
ええ。
私は新しく第九分所に来た人々をよく知りませんが、話によりますと、相当ロシヤ語に達者な人もいたそうです。
名前は記憶しておりません。
私はちよつと記憶は、何名くらいいたということはわかりませんです。全然新しく来ましたし、私は間もなく帰つてしまつたものですから。
そうです。
まあ上級中尉の話くらいは、わかる人がいただろうと思います。
わかりません。
通訳したのは私だけであります。
別にいませんでした。というのは通訳を終つて、私は文化活動の指導者をやつておつた人に会いまして——その人もロシヤ語ができるというふうなことを聞いておりましたが、名前も全然私は知りません——その人に、私は独学ですから、たいへんはずかしいですと、謙遜して言いましたら、いやけつこうですと言いました。
ほかの人と言いますと……。
そうです。しかしその後どういうふうに話が彼らの間に発展したかということはわかりません。