記憶がはつきりかと追究されるとなんですが、あのときの帰国問題についての質問としては、一人であつたと思います。
記憶がはつきりかと追究されるとなんですが、あのときの帰国問題についての質問としては、一人であつたと思います。
ただ日本人の間において、集結地に来ますと全員入党、集団入党ということをしよつちゆう言いまして、全部日本共産党に行かなければならぬぞということを言つております。
私自身は別に拘束を受けておりません。
私は日本の現実と自分の生活とを考えないで、日本の港に着き次第、すぐ代々木の本部に行くというああいう方針には反対でありました。
共産党員でなければアクチーヴということではなかつたわけです。それからまた各收容所によつて違いますけれども、大体全收容人員の一、二割がアクチーヴ、六、七割が民主的傾両者、あるいは民主主義者、そして残りの者が反動、大体そういうふうに区わけされておつたようです。
ソ連流の民主主義はそうだと思います。
はい。
どういう場合の実行でありますか。
反動と積極的に鬪争したことはありませんが、天皇制に対しては私は反対であります。
心のうちでは恐ろしいとは思つていましたけれども、しかたがないと思つていました。
私たちのカラカンダの方ではよくも働き、また丈夫でもなければならぬという収容所の方針でありました。実際働き過ぎてからだを惡くした者もあります。
私自身としては、政治的な確信というものは持つておりませんでしたけれども、たとえばソ連の収容所生活において反動と言われる人たちは、多くたとえば麻雀をやつたり、あるいはいかがわしい話をしたり、あるいは規律を破壊するというような行動をする者もいたわけです。ですからやはり日本人としてみな規律を守つて、できるだけゆたかな生活をするという意味においては、収容所における民主運動というものを肯定したわけです。
はい。
これはアクチーヴの中にはいろいろあると思います。帰りたいからアクチーヴになつた人もいるでしよう。あるいはまた小隊長、中隊長をやつているので、形式上アクチーヴになつた人もいるのです。また熱烈に日本に帰つて革命でも起そうという者、そういうふうにいろいろいたと思います。
いろいろな人がいたと思います。
私としては立場の上からアクチーヴになつたわけです。
カモフラージではないが、収容所における民主主義運動というものは肯定したわけです。
けれども、私は日本における生活と、ソ連にれける收容所生活と分離しなければならぬと思つたのです。
日本に帰つて共産党に入るか入らぬかは、日本に帰つて現実の生活に合して考えなければいかぬと思つたのであります。しかし收容所の民主主義運動というのは、いろいろな行き過ぎとか、極端なものもあつたけれども、やはり規律を守り、生産をよくし、ゆたかな生活をするためには、あれは一つの危期を脱する道であつたと思つております。
ほんとうの共産主義ではなくて、また共産党に入る意思もなかつたわけです。