菅
菅季治
カラカンダ地区引揚者
1950-04-05
衆議院・考査特別委員会
そういうことは九日のアカハタに堂々と書いてありますが、私は証人として立つということは言つたことはありません。
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そういうことは九日のアカハタに堂々と書いてありますが、私は証人として立つということは言つたことはありません。
間違つております。
それも言いません。
そうです。
要請とか連絡ですね。
日本新聞とアカハタとの連絡ぐらいはあつたと思います。
そうじやありません。それに対してあとでアカハタ紙に抗議を出しております。
そうです。虚偽の方が自然であつたかもしれない、こう言つたのです。
武装を解除された軍隊がすぐ郷里に帰る……。
日本新聞で読んだことはあります。
大体それは知つておりました。
ありました。なぜわれわれはこんなに長くとめられるか、非常に疑問でした。
反動という人は收容所を転転と移された。そういうことは認めます。日本共産党の要請によつてそれをやつておるかどうか……。
連絡はあつたが、どの程度かということはちよつと……。
アカハタの記事がどんどん日本新聞に載つたということは、確かに連絡があつた……。
それはちよつとわかりません。というのは、カラカンダには日本人のほかにドイツ人、ルーマニア人がおりました。彼らに対しても、ソ連の收容所本部は同じような方針だつたのですから……。
そこのところはよくわからないのです。
私はよくわからないのです。ただソ連のやり方としては、共産党の要請のあるなしにかかわらず、ああいつた方針をとつたろうと想像はつきますが、ちよつとわからないですね。
私は特に取調べ関係——三十九師団というのがありましたが、あれが残されて、十一月までに帰されそうもない。調査がまだ十一月に続いておりましたから、あれについては数回なぜ帰さぬかと聞きましたが……。
わからない、調査が早く済めば早く帰すと言つておりました。