それはよくわかりませんが、国家保安部ですか、収容所の一角にソ連の取調べ関係の将校がいて、それが三十九師団関係の人々を呼び入れて調書をつくつておる。大体取調べを受けた者の話などを聞きますと、三十九師団は北支ですか、中支ですか、支那においてどういう行動をやつたか。そうしてその際において自分はどういう行動をとつたかということを調べていました。
菅季治
衆議院・カラカンダ地区引揚者
累計発言数
432件
最終発言
1950-04-05
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それはよくわかりませんが、国家保安部ですか、収容所の一角にソ連の取調べ関係の将校がいて、それが三十九師団関係の人々を呼び入れて調書をつくつておる。大体取調べを受けた者の話などを聞きますと、三十九師団は北支ですか、中支ですか、支那においてどういう行動をやつたか。そうしてその際において自分はどういう行動をとつたかということを調べていました。
軍人俘虜の場合だと、取調へ関係のなかつた者は大体帰れたと思います。けれども各收容所のこまかいところはわかりません。
それは通訳としては別な言葉も使えると思います。
私は昨年の十一月二十七日に東舞鶴に着きました。
全然出迎えておりません。
途中弘前に小さな赤旗を持つて数名迎えに出ておつた。学生もおつたが、そのほかでは別になかつた。
別に言わなかつたですね。
そうですね、まあ列車の窓のうちと外から話をしてましたね。私自身は何も話さなかつたが……。
聞きました。握手しておるのも見ました。
私自身はやりません。
一月十日です。
そうです。
そうです。
私は政治などに関係しないで勉強したいと思います。
私としては、とりあえず京都の大学にいたときにやりかけた研究を何とかまとめるというのが、第一の目的だと思つております。
ありません。
現在においても別に気持はかわりません。しかしあのとき聞いておる人たちの気持について言えば、非常にがつかりもし、いつ帰れるかはつきりしなくなるし、またみんなが民主主義者になつたときに帰すというのですから、がつかりしますし、あの話の中に出て来た日本共産党に対する反感も、かえつてつのつただろうと思います。私自身は、無我の境地に立つてと言われても、ちよつと答えられないですね。
天皇制に反対です。
私は事実を述べただけであります。実際は徳田さんを同志とも思つていません。また天皇制反対といつても、別に実踐活動をやるつもりでなくて、昔は神様といつてわれわれを死地に追い込み、一九四七年の正月ですか、神様でないというようなことを言う、それに対しては私は反感を持つています。
別にありません。