私は参議院の引揚委員会と、それから朝日新聞社の編集部とアカハタと同時に四日の朝投函しました。同文であります。それから翌翌日、六日だつたと思います。アカハタ紙の記者が来まして、そのときに私は今申しましたような、私の感じを述べたのであります。
私は参議院の引揚委員会と、それから朝日新聞社の編集部とアカハタと同時に四日の朝投函しました。同文であります。それから翌翌日、六日だつたと思います。アカハタ紙の記者が来まして、そのときに私は今申しましたような、私の感じを述べたのであります。
私はどういうふうに発展したかということは実際知りません。どういうふうに問題になつたかということは、実際住んでいる所も別でありましたので知りませんでした。
尋ねたことはありません。
その頃私は九分所に籍はありましたけれども、各分所がその帰国準備のために忙がしいので、各分所に行きました。それから九分所において、九月の二十日頃でありましたか、九月の二十日頃、残留日本人の中から二十六、七名くらい選びまして政治講習会が開かれました。九分所において一画、別にして、收容所本部の方から私に、お前は今年中に帰るのである。政治講習会は三ヶ月の予定であるけれども、その残留する者の間から適当な講師が見つかるまで、取敢えず講師の一人として世話を燒けということで、講習会の方に関係し、各分所の方に廻つておりましたので、九分所におりました皆さんとは別に交渉はありませんでした。
ありませんでした。
九分所には実在しませんでした。
見えたかと……、私は別にあの人達の思想内容を知ることはできませんでしたけれども、二、三の人と話したところが、「我々は憲兵とか警察官とか、或いは司法官とかやつて、取調関係は前歴者、前の履歴で引つかかつている者、前歴者というふうに呼ばれている者である。そういうわけでウズベツクスタンでも一九四八年に帰国の度ごとに除外されて来た」こういうようなことを聞きました。
それは所長代理としまして、新らしく迎えられた日本人たちに対して收容所生活心得、特に清潔、整頓、それから寒さに向うところの……カラカンダ地方は九月の半ばと言つても雪が降つたこともありますから、カラカンダにおけるところの寒さに対する建物の修理ということについて語つたと思います。
その新聞を送られたおりません。二番目、私はそのようにアカハタ編集局に後で申しまして、それが載せられましたとしますれば、アカハタ外との関係においては、一応満足いたします。
私は元来……帰りましてから早速、軍隊へ入る前に京都の大学院でやり掛けた研究を、とにかくまとめておこうというので、碌に新聞も読まない次第であります。日本の現情についても、まだまだ認識してはおりません。で中野委員さんから言われたようなことについて、そうですね、新聞記事何かありましたですか。
どういうわけでそういうことを聞かれるか、私よく分りませんが、そういうことを読んだことはありません。
私自身としましては、歴史的現実におけるところの個人的な希望とか、観測の無力ということを、私今までの生活で痛感しております。ですから私は勿論戰争はしたくない。或いは外国から戰争商売人などと日本が見られることは欲しません。けれどもただそうした自分の希望などというものは、殆んど無力であるということも同時に感じております。
二回目のことは記憶しておりません。二回目集まらなかつたと思います。
私自身としては、通訳しました日本語の方がより深く印象に残つております。
大体そうですね、何と言いますかね。併しながら記憶に残つておるロシヤ語もあるのです。
そういうふうに解釈することは、あの人々の心理に即して言えば自然であり得たかも知れません。
とられても仕方がないと、それは客観的に純粹にそれがあるとは言えないと思います。あの人人の心理に即して言えばですね、それから帰国問題については、一般にソ側としましては非常に秘密を守つていたようであります。事実一時、收容所分所の将校などは殆んど知らなかつたと思います。時が来れば帰るのだという場合が多くて、私達は非常にいつも不安も持ち希望も持つていたわけであります。
日本新聞は、日本共産党はそういうことを期待しているということを、徳田氏が反動は帰さないことを期待しておるという言葉遣いはなかつたと記憶しております。ただ日本新聞としては、可なり激しい言葉で反動を吊上げよとか、反動を帰すなとかと呼び掛けをしたことはあります。
共産党としてやるとは申しません。日本新聞と共産党との関係は私自身もよく知りませんが、日本新聞が可なり激しい口調で述べていたと思います。又私自身の感想によりますと、日本新聞にはアカハタ紙の記事の転載がありました。アカハタに載つておるところの日本共産党の人々の言葉遣いと、日本新聞編集者自身の言葉遣いの間には可なりな激しさという点においては、露骨とかそういう点において違いがあつて、日本新聞のようなものは、私のような神経の弱い者はちよつと恐ろしいような、血みどろなとか、残虐とか、そういう激しい言葉を用いておりました。ですから一応そこに区別する必要はあるのじやないかと思います。
何でございますか。