一九四九年の二月ごろ、ある収容所において青年代表会議、青年のアクチーヴ会議が開かれました。私はその当時十六分所という分所にいたのでありますけれども、そこの代表会議に出席するものが、どうもいつもこうした会合においては通訳がいなくて困る、だから君行つてくれというので、私行きまして、そのとき通訳したのであります。そのときの通訳が、ソ連側にも日本人の出席者にもよい印象を與えまして、その場において日本人の代表から、こういう通訳を今後会議にどんどん活用すべきであるというような提言がありました。それからその後工作員といつて、各収容所には政治教育、文化活動を専門にやつておる日本人がおりましたけれども、その工作員が収容所本部に私を通訳として推薦したの
