そうすれば、将来これは重要な道路ばかりじゃなく、いろいろな道路を通らなければならぬと思うのですが、この点はやはり国防会議等におきまして、今、高碕さんも退席になりましたけれども、日本の道路網の完成、あるいは国土の総合開発ということと関連して考えなきゃならぬ問題だと思うのですが、当然そういうようなものを取り上げるつもりですか、その点伺っておきたい。
そうすれば、将来これは重要な道路ばかりじゃなく、いろいろな道路を通らなければならぬと思うのですが、この点はやはり国防会議等におきまして、今、高碕さんも退席になりましたけれども、日本の道路網の完成、あるいは国土の総合開発ということと関連して考えなきゃならぬ問題だと思うのですが、当然そういうようなものを取り上げるつもりですか、その点伺っておきたい。
次に食糧問題ですな。この前のときに、一番最後に参ったのは食糧問題です。だから急迫不正の侵略でもあって、少し長引いたということになったら、食糧問題で直ちに面くらうと思うのですが、そこで国防会議に農林大臣、特に食糧関係の担当大臣が入らないというのは、どういう意味で入れないのですか。この食糧問題はあまり考えてもない。まあ今のところは一週間ぐらいのところで、負けるのは負ける、早く片づけて、ちょっとやってみるだけだという程度にお考えになって、国防会議というものは設けられるものであるかどうか、ある程度持久戦も覚悟して自衛をやられる、急迫不正の侵略があったときには、たえるだけたえるんだと、そういう基本方針か、それとも、まあしばらく見て、もうあかん
そんなことはまあわかっているのですが、それではわざわざこの大げさな国防会議という名前をつけて設けなくても、これはむしろ防衛庁設置法と自衛隊法を改正して、自衛会議ぐらいにした方がいいのじゃないか、国防と大げさに名を打って、国防という名前を聞きますと、すぐ戦争中の悪い夢がまたよみがえってくるのですが、一応大げさに大きく大上段にふりかざして国防という名前をつけたところには、何か因縁があるのか、今聞いてみますと、大したものをこさえぬで、ちゃちなもので、ちょっと気やすめ程度というふうにしかわしら受け取れない、金は相当使いますけれども、これで国防でございというような、国防会議という工合に大上段にふりかざして、対外的にもどうかと思う。だからむしろ
特別に国防という名前をどうしてもつけなければならぬのかどうかということを聞いたのです。国防会議を設置する理由を聞いているのじゃない。自衛隊法を改正して、自衛会議ぐらいにしておいた方がまた気がきいていいじゃないかと、こういう意味です。
もう一つ尋ねて……時間もありませんから。 なるほど国防といってりっぱに名前をおつけになったが、たちまちこの法律案がかりに可決されて成立しました暁には、当面国防会議に御列席になるのは鳩山総理と重光さん、一萬田さんと船田さんと高碕さんと、このメンバーですがね。どう見たところで鳩山さんのあの弱々しいからだで、国防会議でござい、国防会議の議長でございとふりかざしてみたところで、重光さんもあれだし、一萬田さんの態度もあれで、それは日本銀行総裁としては一応なんですが、あの人たちが日本の国防をあずかるのでござい、まあ船田さんと高碕さんは一応いいでしょう。(笑声)それも戦争中に法制局長官もやってやられるので、一応多少は国防の「こ」の字ぐらいは知
それでけっこうですが、私の質問中なので……。この次には一つ非常に大事なところに入ろうと思うので、船田さんも国費を非常に節約をしてと言われたのが、はからずもいろいろな問題が起っておりますので、それらの問題についてこの次の機会にぜひお尋ねしたいので、一つ保留しておきたいと思います。(「宮内庁来ておるのか」と呼ぶ者あり、千葉信君「来てなければ暫時休憩」と述ぶ)
ちょっと関連して。今の供与兵器についてですが、向うから供与された兵器は符号、それからそれに対する名称あるいは注意書、そういったものを全部英語で書いてあって、それは一切撤去を許さない、日本語にこれを書きかえることも許されないし、そのまま使わなければならぬ、こういうことになっておるということが言われておるのですが、事実みなそういうふうにしなければならぬのですかどうか。その点を一つお伺いしておきたいと思います。
星のマークを日の丸にかえるのはいいが、たとえば入口には入口、便所には便所の符号がつくだろうと思います。監視艇でも何でも、寝台には寝台、それから士官室には士官室、こういうのは全部英語でそのまま書いておくのか、それから日本語に書きかえることを許されておるのかどうか、それを。
そうすると、そういう標示は一切日本語に書き改めるわけですね。部品のこまかいところは除いて全部書き改める――今度土曜日に見せてもらいに行くことになっておりますので、そういうものはそれを全部書き改めることになっておるわけですね。
いや、具体的にわかりやすく申し上げたので、英語で注意書その他を書いてあるのは日本語に全部書き改めて、それから使用させておるのですね。
臨時教育制度審議会委員に、清瀬さんの構想として、一体どのような委員を任命するか、まずあなたの構想はどういう人を嘱託するか、この間から御答弁を聞いておりますると、だいぶ親に孝に、国に忠誠を誓うという教育をやりたいというのでありますから、どちらかというと明治教育に復古するような、どうも懐古的なところをわれわれ感じましたのですが、そこで一体、この臨教審でそういうことを検討してもらうというのですが、今こういう人を一つお願いしたいという、ただそれがきまるかきまらぬかは別問題として、清瀬文部大臣として大体こういう人を一つ委員に選んだらいいものができるだろうという構想をお持ちになっていると思うのですが、一つおわかりになっておったら御説明願いたいと
感想でけっこうです。
清瀬さん、将来大学を卒業した者ですね、大学卒業生でも労働運動の指導者になる人もあるだろうし、またそういう大学を卒業した連中でもどしどし労働運動の指導者になったり、あるいは経営者の中心になってやっていくということは好ましいことだと思うのです。そこで臨時教育制度審議会、かりにこれが通ったとした場合には、一つ労働運動というようなもの、これはも憂い間の日本においてはやっぱり見のがすことのできない一つの、言論界だとかあるいは産業経済界と匹敵して私は見のがすことのできない一つの勢力――勢力といっては語弊があるが、だと思う。この中からも一つ選ぶというだけの雅量はどうですか、それではちょっとおもしろうないですか。
次に、このような学界から選ぶとしまして、一応一流メンバーといいますか……。名前の売れているというのは、産業経済界といってもすぐ何々銀行頭取であるとか、あるいは日経連の会長であるとか、あるいは言論界から選ぶにいたしましてももう名の売れたと言いますか、何々新聞社の社長である、そういったところを主として選んで、名前ばかりの人を選ぶ予定か、それともこれは中堅層――どちらかといいますと、学界におきましても少壮教授、あるいは教育界にいたしましても、新進の連中を選ぶか、それとも学長級、そういう連中をお選びになるつもりであるか、その点一つ清瀬さんの御希望はどんなところにありますか。
次に、お尋ねいたしたいのは、この大学教育に関して特に清瀬さんのお考えは、この臨時教育制度審議会は六・三制よりも主として大学制度について検討したい、こういう今のお話ですな。
それで明治以来の大学制度というものは、官吏の養成あるいは立身出世主義の教育であったと思うのです。人物をこしらえるという点において欠けるところがあったのじゃないか。ただいまのは新しい教育基本法に基きまして、人物をこしらえる、しかも国際的と申しますか、世界的な視野に立った人物をこしらえるというところに変ったように思うのでありますが、ここで反省しなければならぬのは、官僚制度というのは、やはり清瀬さんは官僚に対して抵抗をしてこられたところの古い闘士でありますけれども、依然として、日本にはまだ官僚制度が温存されて、だんだんとそれが元にもどりつつあるように思われるのです。それで大学に関しましても、検討される場合に、その官僚制度がまた復活するよう
わかりました。そこで清瀬さんざっくばらんにお尋ねしたいのだが、この審議会が答申案を出した場合、およそ清瀬さんの感覚とは相当隔たったものがかりに出たとした場合に、あなたはどういう処置をおとりになるつもりですか。かりにあなたのお考えになっているような構想のもとに出てくれば、それを今度は実践に移す場合にまことに勇気も出てこようが、こんなものを出させるつもりではなかったという結果も考えられる。まことにあなたの好ましいような結論が出るかもしれない。どちらが出るか、幸いにしてあなたのお望みになるような結論が出れば、まことにあなたとしては仕打はやりいいが、しかし逆な場合、逆と言っては語弊がありまするけれども、あなたのお考えになっておるより、およそ
そいつはできない。
そうすると、今の御説明によると、これが答申が出た場合に、ある程度あなたのお考えになっておることとはずれておると申しますか、間隔があるとしても、こういう権威ある、せっかく国会でもこれだけやかましく言って、いろいろ議論しておられるのであるし、大家が集ってこしらえた答申案であるからというので尊敬して、あなたも多少の頭の切りかえを行なって、これに近づくようにすることにやぶざかでない、こういうふうに御答弁なさったと思いますが……。
そこで次に伺っておきたいのは、清瀬さん先般来紀元節をいかにもまあやってもよろしいというお話もあり、そこで君が代を歌ってもよい、なるほどいまだに私ども明治教育を受けました者にとりましては、君が代という国歌を開きますと、何だか、しーんとすることは事実です。何となく身の引き締るのを覚える。しかし、あれは一つの魔術にかかっているので、あの文章を読んでみると、主権在民になっておりながら、「君が代」と言っておるのですね。「千代に八千代に」と言っているが、そんな所はどう考えても言葉としておかしい。われわれは魔術にかかっているのではないかと思うぐらいです。しかし、私らでも率直なことを申しますと、あの歌を歌っていると何となしに身が引き締るような思いが