私の尋ねておるのは、先ほどの法解釈ではなしに、教材の範囲としておそらくそういう疑問が起ってくるだろうと思う。全部といったって先ほど山崎委員が言ったように、極端にいえば森羅万象全部だ、あなたの方の法解釈として必ずしも全部を出さなくてもいいという指導をやる、それでは一体具体的にどういう範囲までそれを列挙することがいいのかという質問がくると思う。あなた方は指導しなければならぬと考えておるのだから、その指導の場合に、列挙すべき教材はどういうものだというふうに具体的にあげますか、と私は聞いておる。
私の尋ねておるのは、先ほどの法解釈ではなしに、教材の範囲としておそらくそういう疑問が起ってくるだろうと思う。全部といったって先ほど山崎委員が言ったように、極端にいえば森羅万象全部だ、あなたの方の法解釈として必ずしも全部を出さなくてもいいという指導をやる、それでは一体具体的にどういう範囲までそれを列挙することがいいのかという質問がくると思う。あなた方は指導しなければならぬと考えておるのだから、その指導の場合に、列挙すべき教材はどういうものだというふうに具体的にあげますか、と私は聞いておる。
その趣旨はよくわかっている。その趣旨でもって、具体的に将来にわたってそのような問い合せがかりに来ても、文部省としては、これは地方の実情に即してやればいいので、その範囲についての具体的な事例は当方においては考えておりません、こういうふうに回答なさると承わっていいですね。 これはもう少し突っ込んで大臣にも聞かなければなりませんし、この法律案の四十八条の二項の二号ですか、文部大臣の権限にある指導と助言の範囲というものは、この項にいったときに具体的に聞きますが、この指導と助言に基いてあなたの方の指導が行われるのだろうと思う。その場合に、具体的に個々の教材について——今、私が参考のために求めたように、こういうものは地方に流しませんね、地力
やはりこれは聞いてみなければわかりません。局長の答弁を私、まるのみに信用しておるととんでもないことで、私の質問の方向も変ってくる。局長は、法律の趣旨は地方でおきめになるのだからそのようにやってもらいたいということで、地方の自主性に対して善意であろうと悪意であろうと、その決定を促すような指導はいたしませんとおっしゃる。ところが大臣は、そういうように問い合せてくるならば、学校教育法第二十一条の二項に基いた教材の範囲で、たとえばこの刷りものにあるようなものを具体的にあげてとおっしゃる、それは間違いございませんね、指導の場合具体的にあげられるのですね。
仮定の質問の方がよりおわかりやすいだろうと思ってあげたのですが、(「ちっとも仮定じゃない」と呼ぶ者あり)これはちっとも仮定じゃないので、逆にお伺いすれば、教材に関しての指導と助言という形の極限はどこだと言えば、この法律に基いた教材の取扱いについての指導と助言をやる場合の最大限の具体的な内容というものは何か、こういうようにお伺いすれば、仮定の問題だからといって拒否される、そんな理由はないと思いますが、まあ大体わかりました。 そこで、こういうものは例としてはないだろうけれども、その場合にあげますのはこのプリントだと了承していいですか。
そうすると大体ここで範囲を定める、その範囲について、もし文部省が指導と助言を行うということになれば、ここにかかっておる具体的な教材の範囲までくらいは文部省は示すということになる、そういうふうに受け取って差しつかえありませんね。
時間がありませんのでそこまでにとどめ、これをどう取り扱うかということはこの次に回しておきたいと思うのであります。 そこではっきりしたことは、指導と助言ということになりますか、ないしは回答ということになりますか、いずれにいたそうとも、こういう形のものが少くとも五千に及ぶ教育委員会に何らかの伝達機構を通じて流れていくことだけは、これは実際問題として、起るとは言いません、起りそうです。それによって地方の教育委員会規則というものが定まる、こういうことが事実上行われる。それは結果としては、あなた方は教材というものは、委員会の自主性と言うけれども、実際問題としては委員会の自主性にあらずして、少くとも文部大臣の、今度の法律ができて、指揮監督と
関連して。今の小林委員の質問でありますが、これは考えようによると、非常に極端というあなた方の答弁であるかもわかりませんけれども、しかし法律はやはり、かりに常識がどうあろうとも、極端な場合の例を考えておいて、その極端な場合の例に不都合があれば法律は是正しなければなりません。従って今一例を学校図書館の問題にとっておりますが、この点に対する解明がきわめて不徹底であります。それは大臣が教材というものを届け出させ承認させる原則的な理由として、学校教育の一環である場合においてそれが教材となり得るのだからそれが対象になるのだ、こういう答弁でありましたね。それは間違いございませんか。
そうするとこれは物理的に言う学校というふうに限定する考えであると私は承わりましたが、差しつかえございませんね。
大臣がはっきり申されましたので私もその点ははっきりいたしておきたいと思います。それは私が物理的にとあえて申し上げましたように、いわゆる学校というその中で行う教授内容において取り扱われる森羅万象その他すべての教材をもって対象としているということになっておる、こういうふうに理解をいたしておきます。
身振り手まねはしないでもわかるように一つ聞いておいてもらいたい。私は正確に物理的にと申し上げた。あなたの方はわざわざ条文を読み上げて、学校における場合だけだ、こういうふうに申されたから私はそういうふうに理解をしたのです。ところが私の常識ではそうではないと考えておった。それはおかしい、学校教育の一環として取り扱うべきものを全部言うのだ、こういうことになりますと先ほどあなたが小林委員の質問に答えられまして学校図書館の例をあげましたね。そのときに小林委員が念を押しましたから、速記録に残っておると思うのですが、図書館がありまして子供はその中から随時本を持っていきます。先生はそれゆえ学校図書館についての使用その他を教育し指導いたすでありましょ
これは委員長大事なところですからとっくりこういうことは大臣に聞かしておかなければならぬ。もちろん法律は限定をいたしません。学校図書館というからの問題ではなしに、学校図書館の中にある蔵書、これの教材的価値を論じておるわけなんです。あなたはそのうちで児童向きのもあるし教師用のもある。ですからその場合においてどういうふうにおっしゃっておるのかわかりませんですが、私はすべて教材であると思っておる。これはすべて教材である。その教材という意味は学校という物理的の範囲内においては俗にいわれる教材ではないかもしれませんけれども、あなたの先ほど訂正された学校教育の範囲において活用されるということであれば、あながち児童用書だからこれは教材には適しない。
そういうかた苦しいことを言うから、そういうふうなごりごりの頭で言うから、いわゆる官僚行政、教育が官僚によって支配されるというような言葉がそこから出てくるのですよ。たとえば私は確かに図書館というものの蔵書を分ければ、法律に書いてあるように児童用あるいは教師用、そういうランクはついておるかもしらぬけれども、教材に活用するのは、教育者その人の考え方によるわけなんです。現実にそうでしょう。たとえば児童用読みものの中に中江藤樹という人がこういうような一生涯を送った有名なこんな話がある、先生はその話をもって教材にする場合はありませんか、どうですか。そういう場合は私は何も教師用書だけを教材として活用するのではなくて、児童用のものの中にもずいぶんそ
そういうところから持ってきて教材にすることがあるのですか。簡潔に答えて下さい。
そういうことになれば、大臣が先ほど言っている教師用書は、これは教材となり得る、しかし児童用の物は、これは子供のものだからその対象にはならないというのは、現実におかしいじゃないですか。児童用書も教師用書もとにかく図書館の中に詰まっているこの本はすべて教材としての価値があるという意味になりましょうか。そうするとセレクトするというのはおかしい。違うといって手を振っているがどうなんですか。
そうしますと、もちろん最初から数万冊の蔵書全部について許可を得るということではないでしょうけれども、しかしそれ自体あなたは先生が単に読むもの、児童が単に読むものと言われますけれども、単に読む場合、単に読まずして教材として活用する場合もあるわけですね。そういたしますと、そのつどその数万冊の中から、きょうはこれを引例して使いたい。あすはこの参考書を一つの基礎として使いたい、これは児童に教材的価値を持っておるということにおいて読ましたい。こういう場合においては初めから届け出ることは要らないけれども、そのつどかりに数万冊あろうが、十数万冊あろうが、やはり逐一それは届け出、承認を得なければ教材として活用できないということになりますか。
みんな規定することはないだろう。こういうことは書いてないと言いますか、みんな規定してはいけないということも書いてない。だからあなたの御議論もこれは仮定であります。だから私は前提を申し上げたように、いろいろな場合を想定しておかなければ、ここで先ほど小林委員も言っておりましたようにこういう内容において作らせるのだというようなサンプルがあれば、これは的確でありますけれども、しかしそれが全然ないわけです。あげて委員会の自主的な判定においてきめさせるのだ。法律はしかもその間に膨大な内容を含んでいるわけです。それだから申し上げておるのであります。必ずしも学校図書館を省くというような限定を全部が全部するとは限りません。また学校図書館のみに限らず、
前段は私も同意見でございます。しかし後段はあなたの考え方は多少行政的になり過ぎておる。もう少し教育的な頭を持てば、そういう答弁にはならない。ここでこの法律が、二十一条が規定しているのも、教科書はいわゆる本来教材である。従って本来教科書であるものと本来教材ではないが、扱い方によっては本来教材たり得べき価値を持っておるもの、だからその時刻々々における価値判断からいうならば、教科書もその他いわゆる有益適切なるものも教材としての価値には変りはない。これは肯定されますか。法律的にこう書いてあるから、ウエートが違うんだろうということは、行政的な頭、法律的な頭で、教育的な頭では私が申し上げたようなことになるのじゃないかと思うのですが、あなたの見解
そこでちょっとふに落ちないことがあるのです。それは今度同時に提案されてる教科書法を見ますと、教科書法の第二十二条には教科書の選定について、「市町村立の小学校及び中学校において使用すべき教科書の選定を行わせるため、都道府県に、教科書選定協議会を置く。」となっております。いいですか。教科書については都道府県の範囲で限定採択をやろうというのが教科書法の趣旨であります。その提案の理由を伺ってみますると、小さな範囲においてはいろいろな不便が生ずる。地域の実情とはいうけれども、義務教育だから、その地域ということは大体都道府県くらいが、いわゆる地域の実情として統一的に採択しても差しつかえない、これが一番地域の実情に即するという意味において——現在
それは私に対する答弁にはなっておりません。理解できない。手続がかりにどうあろうとも、この教科書に対する取扱いの趣旨は、全県下的に同じものを使う方がよろしいという思想に立っておる。だからその場合に、学校長の意見、市町村教育委員会の意見を聞こうと聞くまいと、そのことはその思想をくつがえすものではないのです。それが民主的な手続としていい悪いという方法論の問題はありますけれども、しかしやろうとしておる思想は、これは教科書という教材は都道府県の範囲で統一的に同じものを使ったがよろしいという思想なんです。同じように片や、その他の価値のある教材というものがある。それは市町村でてんでんばらばらに使ってもいいんだという思想。片っ方はそういう思想なんだ
そういう説明では納得はできません。強制的に使用する、しかももともとこれは教材というものであるなれば、かりに市町村の範囲でそれを使いましても、教育的価値においてはさしたる大きなそごは来たさない、こういうふうに私は考える。ところが、非常にむずかしいその他教材であればあるほど、これについてはやはり高い教育的見地から、相当その教材に対する価値判断を行わなければならぬということになれば、むしろあなた方が、かくかくのものを使ってはならないというふうに制限規定を設けるならばいざ知らず、どういうような教材を使うか使わないかについての基準をそれぞれ市町村に定めさせるというのでありますから、それ自体非常に無理なやり方を押しつけている。だからその点、同じ