私も植村さんを知っておりますが、りっぱな人であります。おそらく自分から求めてなられたんじゃない、政府に頼まれてこの貧乏くじを引かれたはずです。そこには、あなたが経済人であり、植村さんが経済人ですから、この問題は経済的な協力ということが本質であるというその結果が、こうなったんじゃありませんか。
私も植村さんを知っておりますが、りっぱな人であります。おそらく自分から求めてなられたんじゃない、政府に頼まれてこの貧乏くじを引かれたはずです。そこには、あなたが経済人であり、植村さんが経済人ですから、この問題は経済的な協力ということが本質であるというその結果が、こうなったんじゃありませんか。
では、最後に申し上げます。以上の審議を通じて明らかになったことは、外務省がどのように理屈をつけようとも、日本がフランスと交戦した事実はなし。日本側においてはなし。最後まで友好関係であり、損害、それは日本軍のおった時代でなしに、終戦と同時に米軍が入り、重慶軍が入り、そうしてそこにフランスと越南の内乱が起こって、その後の損害の方がはるかに多い。その立証は、最高責任者であるところの土橋軍司令官というものを、ほかの軍司令官はみなやられたが、あれだけは無罪として、かえって優遇されておるという事実から見て、私は日本国民にかわり、また日本の参加した兵隊全部を代表いたしまして、このような解釈は間違っておる、日本人自身が日本人を侮辱しておる、そういう
関連。今の説明を聞きますと、機種の選定は防衛庁長官の責任、財政的の決定は国防会議の責任と、こうおっしゃるが、この前の国防会議では機種はあの通り決定されたが、国防会議の持っている本来の使命である財政的の検討をなされておらぬじゃありませんか。なされておりますか。
もう一つ。それじゃ二百機で大体国家財政に何百億と、そこまで検討なさいましたか。
単価が決定せずに、いいですか、決定しておらない。単価が決定せずに、二百機を決定して、そうしてしかも佐藤大蔵大臣、主任大臣がそれに異論があったような御答弁だが、そういう重大な問題をなぜ押し切ったか、国防会議で。なぜ内定としておかなかったかというのです、私の言うのは。この前、昨年の四月は価格が決定せぬ。だから内定にしておいて、価格の折衝をやって正確な価が出たら、決定に持ち込もうとしておったのです。今度は逆なんです。価格が決定しておらぬのに、さっさと決定してしまった。しかも、その製造会社まで決定するという早手回しです。おそらくあなたは、源田報告がロッキードと出ることを予想しておらなかったのでしょう。どうなんだ。グラマンと決定したならば、こ
総計幾ら。
私は、ベトナム賠償問題について、総理大臣、外務大臣及び松本官房副長官に質問いたしたいと思います。きょうは時間の関係で、法務、防衛、総務長官、質問の時間がありませんから、どうぞ帰ってお休みになって下さい。(笑声) まず断わっておきますが、外交問題はずぶのしろうとでありまして、もし間違いがあったら、くろうとの藤山大臣から直していただきたいと思います。そのかわり、ごらんの通りの資料は整えて参りました。この資料は、これは岸さんにも責任のある資料でありまして、最高戦争指導会議の決定した書類の原本であります、当時の。それからこの資料は、これは当時仏印におきまして、政務関係に携わっておりました募僚の詳細な手記であります。これは私が戦後仏印に百
単に調印したということだけで賠償を要求する資格があるならば、このサンフランシスコ条約に調印をした多くの国々も、同様の資格を持つことになります……。
その十四条の規定は、日本国は、戦争中に生じさせた損害及び苦痛に対して、連合国に賠償を支払うべきことを承認することになっております。では二つの問題がここに出てくる。それは、賠償を請求する資格のある国は、日本と戦争状態にあったという条件、及びその戦争中にこうむった損害、この二つの条件が当てはまってくると思いますが、いかがでございますか。
ではお伺いしますが、ビルマ、フィリピン、インドネシア、これは損害を与えた事実があるが、日本はこれらの国と交戦した事実はありません。これに支払うのはどういうわけでございますか。
これらの国々が賠償を受け、また日本が賠償を支払う理由は、私は英、米、オランダ、三国と日本が交戦をしておった、従ってその主権を受け継いだ新しい三国が、英、米、オランダの賠償請求権を継承したものと考えるが、それでよろしゅうございますか。
これは重大な点ですから、念を押しておきますが、戦後に独立した国々に対して、賠償を支払っておるが、これらの国は、正式に日本と交戦した事実はない。しかしその旧主権国のその関係が継承されて賠償問題が起こってくると思いますが、はっきりもう一つ答えて下さい。
そのことは——念を押しておきます、林さんも御異存ありませんか。
それではベトナム共和国と賠償協定を結んだのは、日本が、ベトナムとは交戦をしていないが、ベトナムの旧主権国たるフランスと日本とが交戦関係にあった、同時にまた日本が占領しておったという現実、この二つが賠償の理由になりますか、大臣。
岸総理もこの解釈に御異存ありませんか。
では、あらためて伺いましょう。フランスと日本が交戦関係にあった、この事実を示してもらいたい。
それでは根本問題にさかのぼって岸総理にお伺いします。岸総理は昭和十六年十月十八日東条内閣の商工大臣に就任をされて、閣僚中最も積極的に開戦を主張なさった責任者であり、従いまして、開戦初頭における戦争指導方針は十分御承知のはずだと思いますが、それをまず承りたい。
ただいまの御答弁ちょっと疑問があります。私はこれ以上この席上で追及はいたしません。あなたが当時閣僚の中で最も積極的にやられたということは、この席上では公言できない事実がある。これはやめておきましょう。しからば、あなたは国務大臣としては、少なくも戦争指導方針に関与し、関係を持っていらっしゃる、責任を。当時フランスに対し、仏印に対して東条内閣はどのような指導精神で臨まれたか。残っておるのはあなたです。そこに青木さんがおられますが、まず総理からお答え願いたい。
私の問に答えていただきたい。そういうことは外務大臣に聞けばわかるのだが、あなたは東条内閣の国務大臣として、日本の戦争指導の根本、仏印とタイ国に対しては絶対に最後まで静ひつを保持する、こういう大方針がここに示されておる。それを伺っておる。
持っておったものだと考えるじゃなしに、あなた自身が東条内閣の閣僚としてその責任をお持ちになっているのです。人ごとじゃありませんよ。人ごとじゃない。藤山さんに承りますが、もう一回念のため、日本がフランスと交戦状態に入ったのが昭十九年の八月二十五日、こう見てよろしいのでございますか。念を押しておきます。