間違いありませんね。
間違いありませんね。
それに応じて、当時の日本政府はどのような対策を講じましたか、宣戦布告を受けて。
それではさらに伺いますが、ドゴールがパリに入り、フランス臨時政府の主席に就任したのはいつでありますか。
そこにまず間違いの第一点が出てきました。 あなたは八月二十五日とおっしゃったが、そのときにはドゴールはまだフランスの臨時政府の主席になっておりません。正確に申しますというと八月二十九日であります。いかがですか。だれか政府委員でいいですよ。
そうすると、まことにこっけいなことはまだ主席にも就任しておらない二十五日は、どこの国も承認しておらない、ドゴール個人である。ドゴール個人が日本と戦争状態にあるということをまともに受けて、その日から交戦伏態とお考えになるのですか。
私の資料で正確と思っておるのは十九年の八月二十九日臨時政府の主席に就任をしておるが、これはあとでもう一回あなたの方で資料をよく調べて下さい。間違ったら私が訂正します。 では申しますが、フランス自体において臨時政府の主席となったとしても、国際関係の状態はどうなっておるか、どこの国がどういう日付においてフランスの臨時政府を承認をしたか、それを承りたい。
米英だけですか。
そういうずさんな調べじゃ困る、主任者が。お聞きなさい。米、英、ソ連、カナダ、豪州のこの五カ国が昭和十九年十月二十三日に承認をしております。そうして、さらにおくれてスペインが十月三十一日に承認をしておる。そうなりますと、藤山外務大臣がおっしつやた八月二十五日は、なるほどパリに入ったでしょうけれども、国際的には承認されなかった、一つの幽霊というか、子供というか、そういうものがやったにすぎないのであって、その宣戦布告というものをまじめに取り上げるという根拠はどこにある。
どこの国からも承認されておらない亡命政権、その間は、承認されて初めて責任のある臨時政府というものが発言できるはずだと私は思うが、これはしろうとの考えですか。
では、ここに提出を願いたいのは、その八月二十五日ドゴールがいかなる文書によっていかなる声明をしたか、当時の内容をはっきり出していただきたい。
私は、当時フランスでドゴールが演説したその記録があるのですが、そういうことを言っておりません。日本に宣戦を布告するということは何を根拠におっしゃいますか。
これは賠償の金額を決定するために、この期限というものはきわめて重大だ、いつ幾日から戦争状態に入ったということ。それならば、なぜ、権威ある資料によってこういうことを発言し、こういう宣言をしておるから戦争状態に入ったとなぜ言えぬか。何を根拠に言う。
一番適当な根拠を示せ。物的証拠を示せ。私は証拠によって質問しておる。観念論じゃない。どういう宣言をなされているか、その宣言の内容を御準備下さい。
では、日本にいたフランスの大使館及びパリに行った日本の外交官は、ドゴールがパリに入ると同時に、外交の仕事を停止して引き揚げましたか。
それはおかしい。今の御答弁は、あなた方が戦争に入ったと言うならば、それからあとはフランスというものを相手に外交交渉はできないはず。その、現に松本俊一さんは仏印大使としてやっているじゃありませんか。その矛盾はどう解くか。
では、当時のドクー総督はドゴールから絶縁して、仏印は独立したのですか。
これはうかつな話だ。あなたは日本を代表する堂々たる大使であり、その前は外務次官をなさっておったんですよ、外務次官を。その人がドクーとそれからドゴールの関係を知らぬで、一体赴任できますか、外交官の常識上どうです。
待って下さい。今、藤山さんははっきり申しました。十九年の八月二十五日以後フランスと交戦状態にあった。松本さんは当時の外務次官です。そうして仏印大使に行かれるときに、今あなたのおっしゃった言葉の中に、はっきり、当時フランスと日本は戦争状態をしておらぬ、仏印ともやっておらぬとおっしゃいましたね。今の答弁ではそこに食い違いはありませんか。重大な食い違いが。
それはおかしい。松本さん、申しますがね、松本さん非常にりっぱな方なんで、私は尊敬しておるんですが、あなたは当時の重光さんの外務次官ですよ。そうして外務次官が特に抜擢されて重要な仏印大使においでになった。その当時の事実をはっきりおっしゃりなさい。事実は事実なんです。それを今になって政府は苦しまぎれに、その事実を曲げて十九年八月二十五日から、ありもしない交戦状態にあったという、政府が間違いなんです。あなたの方が正しいのですよ。
がっかりしましたね。私はあなたを見上げたりっぱな人だと思って尊敬をしておったのだが、当時の外務次官でありながらドゴールの宣戦布告をおそらく認めていないに違いないのだ。認めたら仏印大使に行けないはずですよ。それが事実なんです。その事実を今適当に政府諸公はごまかして、日本に不利なようにさかのぼって八月二十五日から交戦状態を認めようとする。その開きは賠償の額を決定する上にこれは軽視できない開きなんです。だから言っている。 それではもう一つ聞いてみましょう、それを裏づける資料はたくさんありますから。それじゃ聞きますが、ドゴールがパリに入ったときにビシー政府というものを認めたか認めないか。ということは、ビシー政府の持っておった今までの主権