そうすると、国産が三式まだある、それからIBM関係のやつが三式ある、こういうことですか。
そうすると、国産が三式まだある、それからIBM関係のやつが三式ある、こういうことですか。
簡単に言ってもらいたいのですが、結局国産機が二式ですか。残っているのは。現在使っているのは二式ですか。
これらのコンピューターを借り上げるための年間の経費というのはどれくらいですか。
四十二年度単年度では五億四千万円ですか。
第二次六カ年計画の全期間を通じては十九億余りのレンタル料を払ったと、こういうことですか。
現在はどれくらい払っているんですか、たとえば四十四年度の計算でいうと。
これはさらにふえていく計画ですか。ふやしていく計画ですか。
それで大体会長の言われた事務的な合理化と、それから番組的なものの合理化というような両面にわたるいわゆる経営の合理化というふうなもののおもなるものがわかったわけですが、先ほど会長も言われておりまするように、この第二次六カ年計画中においては、いわゆるNHK側から見た場合には、経済的にはリセッションの時期であった、これは収入の面によくあらわれておる、こういうお話でしたね。したがって、その収入によって支出の増大をカバーするということは非常にむずかしかった。しかしながら難視聴解消は計画の五割増というふうな実績を示した、それはいわゆる合理化のおかげである、こういうふうにお話をされたと思うんですが、その内容はどういうふうに計算されておるんですか。
いまのお話、ちょっと理解できないんですが、レンタル料を二十億払えば二十億の節約ができるということは、相殺ゼロということになるんじゃないですか。
松浦理事にちょっと聞きますが、先ほどのお話で、四十四年度は、レンタル料というのは会長の先ほどのお話のように、五億か六億じゃなくて、十億六千万円と言われましたね、さっき。
そうしますと、四十四年度にいま言われた十億六千万円のレンタル料だったという話ですね。そこで、それはそれでいいんですが、それだけのものを支出したおかげで、四十五億円という節約ができた。こういうふうにNHKとしては見積もっておられるようですが、四十五億円節約されたその内容を概括的にでもいいですが、言っていただけませんか、どういうものが節約できたか。
そうしますと、第二次六カ年計画において、すなわち六年間において、人件費において百七億円の節減ができた。そしてコンピューターのレンタル料は十九億であるから、その差額である八十八億が浮いたと、それを他のほうに回すことができた。したがって、一年間に平均すれば、八十八億円を六で割った数字だと、四十四年度以降は大体安定したレンタル料で、安定した計算ができるわけですね。したがって、大体単年度計算でいけば四十五億ないし四十七、八億というものが節減できる見込みなんだ、今後もそれが続くだろう、こうゆうふうに解釈してよろしいですか。
そうしますと、人件費が浮いたというんですが、その人件費なるもののおもなる性格は何ですか。
私の聞き方が悪かったんで訂正いたしますが、どういう面に節約できたかということです。
大体よくわかりました。 それで放送技術というんですが、いわゆるNHKの中核をなすものについてはむしろ増員をしたと、こういうわけですね。そして管理機構のほうについては減員をした、こういうことは、逆に言えば放送技術の面については機械化は非常に困難であって、管理部門については機械化が比較的容易である、こういうふうに解釈してよろしいですか。
これは会長にお聞きしたいのですが、第二次六カ年計画をこういうふうに実施してみた結果、先ほど言ったように八十八億円の節減ができたというのは、これは消極的な意味ですか、それとも一つのプロジェクトとしての結論なんですか。
いまの一万八千二百名というのは、四十二年度末における想定ですか。
そこで、いろいろとお聞きしたいのですが、いよいよこういうふうにNHKも機械化をいたして科学技術の進歩する社会に対処しようというのは、これは何といいますか、情報化社会のおそらくトップを切るとみられるNHKが、当然の一つのビヘービアだと思うのですね。ただ問題は、そこから生まれてくる幾多の弊害が考えられるような気がするのですね、最近における社会の混乱と無関係ではないというふうに実は私は思うのですが、たとえば三十七年度当初においてはたしか受信数は一千万くらいだったのですね、それは四十二年度末には二千万にふえた。いわゆる倍にふえていますね。ということは、非常に大きな業務量を持ってきたということですね、と同時に、それを処理するための大型化、機械
あなたの言われる前提の条件がそうであるならば、私も同意できると思うのです。たとえば、コンピューターであるとか、それに変わる近代技術の導入がいわゆる人間の知恵を何ら制約するものではないし、完全に補完的なものの機械化である。したがって、常に人間が主人公である。機械は召使であるという状態であるならば、私もあなたの説に同意できるのですが、必ずしもそうではないという場面も出てくるんじゃないでしょうか。たとえば、技術室に入っている人は、一日技術を監視しておるというような非常に無味乾燥な索漠とした一日の勤務をやる。その人が帰るときにはたしてどういう充実感を持つだろうかというようなことを考えますと、若干私は杞憂に過ぎるかもしれないけれども、会長の言
いま、管理職の年齢と、それから一般の職員の年齢の接近化についておっしゃったわけですが、管理職の人間の平均年齢が低くなってきたということは、管理職の数がふえたということじゃないですか。