給油についての報告でございますが、それは一番最初に給油を始めましたのは相当早い時間……
給油についての報告でございますが、それは一番最初に給油を始めましたのは相当早い時間……
これは事後調べたわけでございまして、事前に給油の通報は受けることになっておりませんが、大体十一月の三十日の午前九時半ごろから始めまして、午後の五時ごろまでやったと、それでこれは五隻の船でやったと。ところがその後、少し海上がしけてきたので一たん中止をして、そうしてそのあとに午後五時ごろから始めまして十二月一日の四時二十分ごろまでやったと、それで最初の第一回目は五隻の給油船でやり、第二回目は四隻の給油船でやったということを事後報告を受けております。
油の流出状況の報告ということですが、これはいろいろあるわけで、ございまして、もちろん、どのくらいの油が流れたかということは、やはり明原丸の現場の責任者からも聞いたと思います。その後、取り調べをしたいろいろな関係者からも聞いておりますので、いろいろその時点によって違うと思います。また、これの記録も私ども見ておりますが、関係者のいろいろな人から流れた量についての話を聞いているということで、それが必ずしも一致していないという状況でございます。
油濁防止管理者である一等航海士が報告をしたという、最初の報告をしたというふうに聞いております。
船長が報告をすべきところ、船長にかわって三村一等航海士が報告をしたというふうに、いまのおっしゃった時刻に報告をしたというふうに聞いております。
油の流出を発見した人は当直をしておりました平川という三等機関士であると思います。
おっしゃったような順序であろうと思います。
所有者が、私はこの点は確認しなければわかりませんが、私どもの通常理解しておるところでは、所有者が直接任命したものではないと思います。と申しますのは、船舶における荷役の責任者は通常一等航海士が慣例的にどの船でもなっております。したがいまして、こういう場合でも一等航海士がなるという、おそらくこれは船の慣例でもありますし、おそらく会社の内規でも、自動的にと申しますか、そういうことになっておると思いますが、その辺はちょっといまつまびらかにしませんが、おそらく会社が直接任命したものではない。船長が内規によって指名したのか、あるいは恒例によって、慣例によって指名をしたのか、そういうことであろうと思います。
船の中におったようであります。
船長はおりましたが、就寝中でございました。一等航海士は、ちょっとその点調べますが、おったはずでございます。
再給油船の最後の船は第六太平丸であるというふうに理解しております。
第六太平丸といいますのが、先ほど申し上げましたように二回に分けて給油をしたその最後のほうの給油のときのポンプ船といいますか、一番根っこの船になったわけでございます。で、その前に、この船が最後に給油する前が第十五京丸ということでございますから、おそらく第十五京丸が終われば、あとに残ったのは、明原丸はもちろんのこと、第六太平丸だけであろうというふうに思います。
第六太平丸から油を漏らしたというふうなことは私ども考えておりません。
そのとおりであると思います。
そのとおりと考えます。
この燃料の積み込みにつきましては、積み荷役協定書というものを結びまして、そしてこの明原丸のほうと油を供給する会社とが、この協定書に基づきまして油を補給しておるわけでございますが、鶴見輸送もこの油を補給する船に加わって補給をしておったということでございます。
鶴見輸送がこの場合の元請的な立場になって一括引き受けてやっておったということでございます。
その件については、まだ私ども手元にございません。
ただいま先生のおあげになりましたその書類ということとは直接関係ございませんが、先ほど申し上げましたように、明原丸から油がこぼれたというふうに私ども考えております。
これば東燃タンカーでありますか、東燃石油でありますか、その辺私どもはわかりませんが、私どもは、その船主と明原丸と、それから直接油を供給をした会社ということを把握しておりまして、要求もとがどこであるかということはわかっておりません。