海上保安庁及び運輸省の行政指導でもって、その船舶所有者、それから油の施設の管理者、係留施設の管理者等に、できるだけ備えるように行政指導をしておったということでございます。
海上保安庁及び運輸省の行政指導でもって、その船舶所有者、それから油の施設の管理者、係留施設の管理者等に、できるだけ備えるように行政指導をしておったということでございます。
その当時は、船長の一倍ないし一・五倍ということで、できるだけ一・五倍を持つべきだという指導はいたしておりましたけれども、中には船長もいろいろのものもあったと思います。一倍ないし一・五倍というふうに船舶使用者に対しては指導をいたしております。
先ほど申し上げましたように、船首に百五十メートル、船尾に二百メートルということで、その船尾と船首の中間部分については展張されていなかったわけでございます。
三百二メーターであります。
船に備えるオイルフェンスの長さにつきましては、先ほどから申し上げますように、できるだけ、接岸をして、荷役等をやっている場合には、その係留施設、これは十分その船をカバーできるような長さのものが望ましい。それから応急の措置としては、これはもしタンクが全部破れてどんどん油が出るというような場合になれば、これはもうたいへんなことでございますが、一部のタンクが破損をする、あるいはあふれ出るというような場合は、必ずしも全長である必要はないというようなことから、先ほど申しましたような一倍ないし一・五倍という指導をしておったわけでございます。 明原丸の場合は、これは処理の方法というものが必ずしも適当でなかったということでございますが、油が流れ出
先ほど申し上げましたように、行政指導として一倍ないし一・五倍、施設は別といたしまして船は一倍ないし一・五倍のオイルフェンスを持つように指導しておりまして、この場合三百メートルの船長の船に対しまして、三百八十メートルですかのオイルフェンスを持っておったわけですから、長さとしては、私どもの指導以下ではなかった。ただ、まあその張り方の問題については問題はございます、そういう張り方の問題というよりは、これはやはりオイルフェンスよりも、その油の補給の操作の問題自身が、一番問題であったのではなかろうかというふうに考えます。
オイルフェンスは張ってございましたけれども、いま申し上げましたように、船のほうから流れ出た油を有効にとめ得なかったということで、結果的には張り方がまずかったと申しますか、操作がまずかったと申しますか、そういうことだと思います。
これもその当時の端末が、片一方の接岸ドルフィンから、特に船尾部二百メートルを張っているオイルフェンスの端末が、どこのところまでどういう状態で届いておったかということにつきましては、私どもの調査でも、三者三様、場所がかなり違いまして、かりにA点、B点、C点としますと、三人の、これは記憶でございますが、端末がどこであったか、それがどのような状態であったかということは、必ずしもはっきりいたしておりません。いずれにしろ、その端末はあるところにいって、こう切れておったわけですから、それから先は外の、一般に流れている海水部面と船の船体との間があいておったということでございます。
右舷の一番タンクのマンホールから油が流れまして、そしてじょうご型といいますか、マンホールから外のほうに広がって、大体十メーターぐらいの幅に広がって、そこからブルワークと申しますか、船の手すりを越えて下に落ちたというふうに、大体私ども考えております。
そこのところが、いま申し上げましたように、三者三様の話でございますので、オイルフェンスの端末が一番長いところまでいっておったという記憶の人は、何といいますか、油が下にたれておるところの、その外側までオイルフェンスの端末がいっておったという人もありますし、もっと手前のほうで切れておったという人もありまして、その辺ははっきりいたしておりません。
それはオイルフェンスの端末の先については油といいますか、海水そのものをせきとめる有効な手段がございませんでしたので、油がそこから先は、風、波によって流れたということはあり得るだろうと思います。
機関部員が交代ということでございませんで、先生の御質問は、立ち会った本船の、明原丸の機関部員はどうであったかという御質問だろうと思いますが、それば全時間にわたって立ち会っておったのは三等機関士の平川さんという人でございます。初めのほうは、その三等機関士の指揮下にあります操機長の、これも同じ名前ですが、平川さんという人が両方立ち会っておったわけでございます。ただその間、操機長のほうの平川さんは一日の午前二時ごろに、もう寝てよろしいということであって、その人は、その給油の持を場を離れて、自分の部屋へ帰って寝ておるようですから、それから先は三等機関士のほうの平川さんが一人でおったということでございます。
いま申し上げましたように、三等機関士の平川さんと、操機長の平川さんの二人が、給油に全時間にわたって立会をしたわけですが、操機長の平川さんのほうは、一日の午前二時から先は就寝をしたということで、つまり三十日の九時三十分ごろからずっと両平川さんで立ち会いをしておった。その間三等機関士の平川さんのほうは当直士官でもありますので、機関室の当直停泊の関係で、八時から十二時までの間そちらのほうに行っておった。だからそのときは操機長の平川さん一人で立ち会いをしておったようでありますが、その後またもとに戻ってきて両平川さんで立ち会いをして、そうして一日の午前二時から操機長の平川さんのほうが就寝をしたと、こういうように把握いたしております。
私どもの把握したところでは、平川三等機関士は、十一月三十日の朝の九時半、つまり給油の開始のときからこれに立ち会っておる。ただし途中で、いま申し上げましたように、停泊当直に当たっておりましたので、停泊当直の任務も兼ねて、そのときには機関室のほうに行ったりして、またこちらにも帰ってきたということで、もっぱら給油に立ち会った時間は、この停泊当直の時間、十二時までの時間を除きまして平川操機長が眠ったあとも立ち会っておったというふうに、私どもは把握しております。
この船内の服務につきましては、船員法の規定がありますし、それからおそらく船主と船員との間の労働協約によって勤務の時間の割り振りをされておると思います。したがいまして、この機関室の当直についても、この間にやったわけでございますが、これはこの間そういう勤務であったという私どもの推定でございまして、これは具体的に船長がそういう時間の勤務を命じたのかどうか、これは私どももわかりません。
いまの点については、油濁防止管理者の責任、これは私どもいろいろ問題があると思いますが、現実の勤務の形態として、私どもの調査では、平川三等機関士がこういう勤務をしておったということでございまして、もちろん一等航海士であります三村さんという責任管理者、これはずっと寝ておったわけではございませんと思います。それば船内にあって、そしていわゆる当直勤務についていなかったので、たとえば夕食後寝るとか、あるいはその時間にはそこの現場に行かなかったというようなことだろうと思いますが、いずれにしろ管理責任者としての責任はあるわけでございますが、現実の立ち会いは三等機関士と、いま言いました操機長と、この二人が立ち会ってやったと、こういうふうに把握してお
先生の御質問、最初に言及されましたことにお答えしておきたいと思いますが、船長の在船義務、それから甲板上の指揮ということは、先生がおっしゃったとおりでございますし、先ほど法政局の第四部長から答えられたことでございますが、それはつまり船長は、たとえばこれこれの場合には甲板上にあって船を指揮しなければならないという義務でございまして、それ以外は甲板上にあって船を指揮しなくてもいいということですが、しかしもし事故があったときに、船長が船の操船について責任を免れるという意味ではないというふうに、私どもも了解いたしております。 したがいまして、この場合に船長とか、あるいは一等航海士が内規によりまして就寝をしておったということでもって、油が船
いまの先生の御質問に対して別のお答えをいたしますと、油が漏れたであろうと推定される時刻の前後に、現場におった者は平川三等機関士一人であろうというふうに考えられます。
そのように思います。
十一月三十日の午後五時ごろ気象状況の悪化によって打ち切って、それから二時間ほどたって午後七時ごろからまた再開をしたと、こういうことでございます。