閣議ではございません。
閣議ではございません。
四日に委員会ができたとすると、私が辞表を出したのは六日であつたと思う。その間にそういう案をつくつたか、それは非常にはつきりしないです。
覚えておりません。
そうです。
いや何もありません。ただ、今申し上げましたように、私の記憶では、連合軍がはつきり返すのだと言つたのであるかどうか知りませんが、終戰連絡事務局から、どうもそういうふうな話がある、そうなつてくると各省関係からいろいろの問題が起るだろう、それにはやはり委員会を設けて、そこで総合的に考えていかないとばらばらになつてぐあいが悪いのじやないだろうかという話だつたと私は記憶いたします。
これを拜見いたしますと、文書になつておるのですが、私の記憶が非常に不明瞭な結果そういうように考えたのだろうと思いますが、九月二十四日にはつきりきておりますから、むろんその指令に基いてそれから活動を開始したことと思います。この特殊物件処分大綱の案というものは、これも日づけが閣議決定が十月十九日でありますが、括弧の中に、昭和二十年十月五日とあります。これがどういう意味でありますか。委員会あたりで審議するときに、日づけをよく役所の例で書きます。しかしそのときにきまらない場合があつたり、いろいろしますので、おそらく、この案を印刷して審議しようとしておつたんだろうと思います。この案を今拝見して思い出してきますことは、なるほど、地方において処方
その点については、私の記憶では、どこでこれを受入れるというかどういうかしりませんが、とにかく、返してきますと、一番大人なことはそれを保管しなければならぬ、簡單に申しますと番をしなければならぬ、それではほかの役所でやるといつても、ほかにやるところがないじやないか、やはり、警察力をもつておると申しますか、それに都合のいいところでやつてもらわなくちやならぬのじやなしかというふうな話が出たと思います。
そこまでいつておりませんでした。
その点はもう終戰後は企画院の仕事というものはないので……。御承知のように私がやめましてからほとんどまた一箇月くらいで調査局は廃止になつたはずです。
それは官制には今読んでいただいたことが書いてあると思われます。しかし私が実際やつておりましたことはそういうことではなくて、むしろ主として各省の事務の連絡をはかつて、円滑にいくということに主力が置かれてあつたのであります。
むろんあの官制はそういうことに進み得ることにはなつております。しかし私が実際やつておりましたことは、まだそこまで進んでなかつたということを申し上げます。
それは遺憾ながら私にはわかりません。
どうなつておりましたか、それは先ほども申し上げましたように、おつしやるように企画院が廃止になつてすぐであつたかどうかしりませんが、調査局ができました。できて何日か経つてから私が行つたものですから、その間の事情がどうなつているか……。
徳田さんの仰せですが、怠慢じやないかというお叱りを受ければそれまでのことですが、何しろ私一箇月しかおらぬものですから。
実際と言つて、宣誓にも申し上げた通り、必要なことなら申し上げるのですが、実際わからないのです。
おりました。
たしかそうでございますな。
その辺はどうも……。
それは私幅を利かしたかどうかわかりませんが、とにかく私一箇月の在任中に、ほんとうはおつしやるようにあらゆる数字なり、大きなことでもいいから、日本というものをどういう方向に、どうあつたか、またどんな程度になつておつたかということを知らなければならなかつたと思います。ところが在任わずか一箇月でありまして、遺憾ながらとてもそこまで手がまわらなかつたのであります。
これは徳田さんの仰せでございますけれども、私は私の経驗したことだけを申し上げておるので、それ以上に官制の本質がどうとか、どういうことをしなくてはならなかつたのだということを申し上げておるのでないので、私の実際やりましたことを何も飾らずに申し上げたわけです。あなたにお前はけしからん役人だつたと、一箇月もやつておつてそんなことわからなかつたか、こう叱られればそれはしようがない。