今申し上げましたように、国民健康保険の保険料にも響いてくるわけですから、私は国税五万人の方が非常に、さっきの話じゃないけれども、血尿が出るとか出ぬとかいうぐらい一生懸命やっていらっしゃるその努力は当然これは高く評価している。しかしながら、単に人が足らぬからやれないということだけではなしに、地方の税務課の職員ですね、これは大体八万人ぐらいいるんだから、そこらの人たちとの連携プレーがもう少し有機的にできないだろうかという感じも強いんですけれども、こういうことはお考えになったことはございませんか。
今申し上げましたように、国民健康保険の保険料にも響いてくるわけですから、私は国税五万人の方が非常に、さっきの話じゃないけれども、血尿が出るとか出ぬとかいうぐらい一生懸命やっていらっしゃるその努力は当然これは高く評価している。しかしながら、単に人が足らぬからやれないということだけではなしに、地方の税務課の職員ですね、これは大体八万人ぐらいいるんだから、そこらの人たちとの連携プレーがもう少し有機的にできないだろうかという感じも強いんですけれども、こういうことはお考えになったことはございませんか。
最後に、大臣はにやにや笑っておいでですけれども、どうなんですかね、これだけはひとつ申し上げておきたいんですけども、クロヨンだとかトーゴーサンだとか、そういうことのあるなしということは別問題として、税の取り方、それの制度的な不公平というものが、単に税収だけの問題でなしに、先ほど申し上げました国民健康保険料の問題だって、学生に奨学金を出す問題だって、保育所に子供を入れる問題だって、全部響いてくるんだ、それを総合したらどえらい格差になってくるんだということだけはひとつお心にとめていただいて、長期的展望でお考えをいただきたいということだけをお願いを申し上げて、質問を終わります。
ありがとうございました。
借換債の問題につきまして、五十八年当時のことをちょっとお伺いしたいんですけれども、前年度予算を審議されているときに大蔵大臣のお気持ちの中には借換債という発想は片影すらなかったかどうかということなんですけれども、まずそこを。
どうも税調でもそうですけれども、財政制度審議会という、すべて政府の御答弁の、よく言えば寄りどころ、悪く言えば隠れみのにされてしまうようなところがあるんですけれども、少なくとも財政事情の基本的な体質というものは去年もことしもそんなに変わっていないわけですね。それで去年は借換債という法案は出なかったわけですね。ことしは出た。そこら辺で大臣のお気持ちですね、お気持ちにどういう変化があったんだろうかということなんです。あるいは昨年の段階においては、増税とかあるいは歳出カットとか、そういうことでことしも切り抜けられるんではないかというようなお気持ちがあったんじゃないかとそんたくするわけなんですけれども、ここのところどんなものでしょうか。
そういたしますと、そういう三つの選択肢がございまして、二つが捨てられて借換債ということになってきたわけですね。そうすると借換債しかない、ほかのやつはあかんというふうな決断に踏み切られたのは補正予算を契機としてでございますか。
その九十八国会のとき、そのとき三つの選択肢があったと。それで、どれをとるかは国民の選択であると、こういうことですね。だとしたら、国民の選択は行政カットをとるということが常識じゃないですか。それが国民は行政カットということは選択しなかった、借換債発行の方を選択したという論理のプロセスにならないでしょうか。
そこら辺のところが国民レベルの問題と永田町レベルと申しますか、そこら辺の問題との若干のずれです。 やや問題を転換さしていきますと、日本の国債政策ですね、国債政策の中には日本の高い貯蓄率に対する期待感というのか、が少し多過ぎるんではないかという懸念があるんですよ。なるほど百二十兆国債のもとでインフレも大して起きなかった、それからクラウディングアウトも出なかった、それが国民の非常に高い貯蓄率の結果だと、こういう御答弁は再三、再四にわたってございました。 ただ問題は、私どもが心配いたしますことは、じゃ国民のこの高い貯蓄率ですね、高い貯蓄率の背景と申しますか原因と申しますか、それは一体どこにあるんだろうか。その点はどうお考えでしょう
日本の経済のシステムが国民に非常に安心感を与えているというのが高い貯蓄率の原因だというふうなお答えなんですけれども、ちょっと伺いたいんです。これは当局にお伺いいたしたいんですけれども、家計貯蓄率はどうでしょう、戦前と戦後で大きな開きはございますでしょうか。
国民の非常な二宮金次郎的勤勉が高貯蓄率の背景だとするならば、戦前もかなり高くなければ、むしろ戦前の方が「欲しがりません、勝つまでは」というわけで貯蓄、貯蓄と戦争させられたわけですから、戦前の方がかなり高くなければおかしいんじゃないかという気がするんですけれどもね。非常に開きがございますね。そうすると、私は日本の高貯蓄率の原因というものは勤勉論だけではちょっと説明し切れないんではないかという気がしておるわけなんですけれども、どんなものでしょうか。
それだけたくさん列挙されますと最初のところを忘れてしまったわけなんですけれども、もう高度成長経済は永久に戻ってまいりませんから、高度成長経済の時代のように豊かな消費と高い貯蓄が並行して実現するということは、ちょっとこれからは考えられないと思うわけでございます。そうすると、どうしても今第三番目にお話ございました老後不安というものが非常に大きな貯蓄原因になっていく。あるいは住宅不安、家を建てなきゃならぬというための貯蓄も考えられますね。あるいは教育費が非常にかかり過ぎるからその教育費のための貯蓄をしなければならないというようなことがどうしても考えられる。そうなりますと、日本の貯蓄というのは、日本社会全体に安心感があって高い貯蓄が行われる
そうすると、今私伺ったのは生命保険についてですけれども、貯蓄全体の伸びが一〇・三%であるのに対して生命保険の伸びが一四・四%と大きいということ。それからもう一つは、総貯蓄の中に占める生保の比率はどれぐらいの割合でしょうか。
そうすると、これは別の資料で、例えば貯蓄増強中央委員会が毎年発表いたしますところの貯蓄に関する世論調査というようなものを見ましても、住宅、教育、老後の備えであるとか、あるいは病気になったときとか、そういういわゆる不安に備えるという意味の貯蓄目的が非常に多い。高いものを買うためとか旅行に行くためとかいう余裕を持った貯蓄はむしろ少ない。これは貯蓄内容の日米比較を考えてみましても、日本の場合は普通預金だとか定期預金だとか、困ったときはすぐ出せるというようなものに行く割合が非常に多い。これに対してアメリカなんかの場合は株式みたいなまさにゆとりを楽しむ貯蓄方法ですね。そっちへ行く場合が非常に多い。 そういうふうに考えてみますと、日本の高貯
そういたしますと、高い貯蓄率をとにかく現状さらにアップしていく方向がこれからの経済誘導と申しますかね、そういう方向だというふうに理解してよろしゅうございますか。
余り貯蓄率向上政策をとられますと、先ほど申し上げましたように、国民の不安感を大きくすれば大きくするほど貯蓄率は高まるという変なことになりますから、こういう方向はとっていただきたくないと思うわけなんです。もし貯蓄率というものを下げる政策をとらないという基本的な前提でいきますと、現在問題になっております利子配当分離課税と申しますか、マル優是非論と申しますか、グリーンカード是非論と申しますか、そういうものとの相関関係がここで問題になってくるわけなんですけれども、この貯蓄率とマル優制度と申しますか、ここら辺のところはどうなんでしょうか。
どうも最後の問題になってまいりますと、財政審が出てきたり税調が出てきたり、予見を持ってということになるのですけれども、これはいつかも申し上げましたように、政府税調の答申を政府が全部お酌み取りになったという歴史はないわけなのだから、むしろ政府税調の方が政府の鼻息をうかがいながら追っかけ答申をやったというケースの方が結構多いのだから、余り税調であるとか財政審で予見云々をやられると困るのです。 もう時間が来てしまいましたから申し上げますけれども、そうすると、要するに日本人の高貯蓄というのはいいことなのだ、だからそれに水かけるような政策はとらない、これはマル優問題に絡んでですね。しかしながら、一方においてこのマル優問題が不当に悪用をされ
最後にもう一つだけ。 お願いでございます。私も高貯蓄率結構だと思います。ただ、国民に住宅、教育、特に老後、老後の不安を残しておくことが高貯蓄率誘導であるという方向の政策だけはおとりにならないようにしていただきたいということをお願いして終わります。
質問の順番が後になりますともうほとんど蒸し返しになってしまうんですけれども、ずっと話題になっております六十五年度赤字国債新発ゼロ、これにしぼりまして御質問申し上げます。 何よりもこの問題は、十人のエコノミストが集まりますと、それはだめだ、絶望的に不可能であろうと、こういう答えがはね返ってまいりますし、それからオフィシャルな席以外で与野党の議員さんでこの問題の話をしますと、やはり難しいという答えしか出てこないわけですね。総理は、そういうような情勢下において、総理の最後のおなかの中はわかりませんけれども、どこまで本気なんだということを聞かざるを得ないような財政状況なんだということですから、まずそこをお願いを申し上げます。
「展望と指針」で出ました毎年一兆円ずつ返すと、これはもう初年度において崩れたわけですね。そうすると、約五千億ぐらいなものを以後毎年分割して回していく、それからまたそれが崩れたらまた回していくということになって、積み上げ積み上げという形になってしまうわけなんですよ、実際問題といたしましては。そうすると、どうも後世代論というのが非常にやかましい。つまり、次の世代の我々になぜ迷惑かけなきゃならないのかと次の世代からはそういう批判が出ます。それと同じように、現在は借りかえでいけば簡単に片づいてしまいます。しまいますけれども、例えば次の次の内閣はこれで非常に困らなきゃならないことになってくるんじゃないか。そうすると、次の次の内閣ぐらいに対する
それでは来年はどういう御努力をなさいますか、毎年毎年はわかりましたから。もう来年のことですから。