捕虜がソビエトに入つたということは、今申し上げたように連合国の協定によつたものだとわれわれは理解しております。 それから数百万というように言われるけれども、その数字もわれわれは全然どの程度のものか——向うでは五十九万数千というように、日本新聞でいわれておつたように記憶しておりますが、私自身の経験からすれば、決して労働を強制されておりませんし、その点どのように答えていいかわかりません。
捕虜がソビエトに入つたということは、今申し上げたように連合国の協定によつたものだとわれわれは理解しております。 それから数百万というように言われるけれども、その数字もわれわれは全然どの程度のものか——向うでは五十九万数千というように、日本新聞でいわれておつたように記憶しておりますが、私自身の経験からすれば、決して労働を強制されておりませんし、その点どのように答えていいかわかりません。
私は今の発言では、自由意思によるとは言わなかつた。それは自由意思によるものは将校であつた。これが第一。草知という関東軍の参謀を初めとする、こちらにも新聞で見ると呼ばれた吉田君あるいは小笠原君とか、ああいう憲兵だとか、かつての将校、日の丸梯団の人たちは自由意思の原則に基いて帰るまでしなかつた。それを見てもソビエトは決して強制してはいない、彼らが自由意思に基いて、働かしてくれと言うまで放つておかなければいけない、強制してはいけないと言つた。ということは、吉田君自身もそのように言つたから、吉田君から聞いてもらえばわかると思う。それから私たち兵士、下士官は八時間労働は自活作業としてやる、捕虜としてやるという義務があるということですから、われ
質問者に私はこのあれを聞く自由が與えられますか。——そうですが、証人は答えるだけですか。それでは何も入党したことはどうこうということはないから答えますが、私は十一月五日に上陸しまして、そうして約二十日間GHQの方に抑留されておりまして、二十九日に解放された。それで出て来て二日か三日して党本部に加入……。
もちろんそうです。
もちろんそうです。するところはありません。
断固間違いありません。
碁や将棋や麻雀は、兵隊の中に器用な者がおりますから、作業から帰つて来て、しかも課外作業をとつて、将校が命令でつくらした。これがまず第一。
そうです。それからもう一つ……。
その通り。
しかり。
ソビエトの管理がどうであつたか、こうであつたかということは、どうぞソビエトの方に聞いていただきたいと思います。ただわれわれが長い作業から帰つて来て、それをやらなければ減食し、重労働につけるというような横暴だから、われわれはそれを恐れてやつたわけです。しかし麻雀は收容所内においてはやつていけないということは、收容所規定においてはつきりされてからは、禁止されたわけです。しかし入つた当分約半年くらいは、毎日明けても暮れても麻雀ばかりやつておりました。わかりましたですか。
もちろん、市民と同一の取扱いを受けたというのは、ソビエトの民族的な全然差別のないということを意味する。
それは市民と同一ではない。ソビエト市民と全然差別がなかつた。われわれは身分的には捕虜です。しかしソビエトの人たちは国境を越え、捕虜のわれわれに対してもソビエトの市民と同じように、何ら民族的な差別なく取扱いを受けた、こういう表現であります。
万人の知るところであります。われわれはそういう差別待遇をする将校に対して反抗の鬪争をやつて来たのですから、私たちはみな平等に、みな平和に、みな明るくやろうというために努力をして来たわけです。ですからそういう特権的なことはわれわれはやりません。もしやつたとすれば憲兵であり、警察であり、特務機関である。
私は一介の捕虜としての待遇以上を受けておりません。
私にはそういうことはありません。そこで、ここでいろいろ証人に聞かれたと言いますが、吉田君、小笠原君、あるいは岡本君なんかは草知一派と、ソビエトに対して復讐戰をやろうということを、向うで公然と言つておつたのです。そういう人たちは正しいことを言わないとわからない。
その人たちははつきりと言いました。
それは確かに現実に彼らは言つておるのですが、それは彼らの自由ですから……。
旧関東軍約五十数万帰つておるのですから、全部の意見を聞いていただければ、どちらが正しかつたか——二十人、三十人の意見でなしに、全部の意見を聞けばわかると思うのです。これだけでは……。
まず具体的に食糧について、食糧はもちろん私も、全部そうよかつたと言うわけではりありません。ソビエトの……。