それは学問的にはそういうふうに理解されるかもしれませんが、私はそのように理解しておつた、それが偽証になるとかなんとか言うて、ずいぶんおどかされるのですが……。
それは学問的にはそういうふうに理解されるかもしれませんが、私はそのように理解しておつた、それが偽証になるとかなんとか言うて、ずいぶんおどかされるのですが……。
私は反動とは戰犯人であるというふうに解釈しておつた。
ええ。
今申し上げたように、学問的には、専門語から言えば、そういう範疇に入ると思うのですが、私たちが反動と言つたのは、戰犯を追及せよということであつたということを申し上げているのですから、これ以上論議の余地はない。私はこれ以上申し上げることはできません。
今の委員の方は非常に混乱しておると思います。私は決して編集責任者でも何でもない、私は日本新聞の宣伝部の責任者であつたということを前から申し上げているので、編集責任者であるということは、議事録を調べていただけばわかると思いますが、決して言つてません。
なんぼそう言われても、偽証罪と言われようと何と言われようと、私はそのように考えておつたのですから、どうぞ自由にしていただきたいと思うのです。それ以上言うことはありません。
それですから、学問的な立場から言えば、その範疇に入る。歴史の正しい発展を阻害するものが反動だということに入るでしよう。しかし私が言つている点は、今私の言つた考えは反動は戰犯分子である。
どうもそういうむずかしいことは、私は一介の農民ですからわかりません。
私は今申し上げたように、学問的にはその範疇に入る。歴史の正しい必然を阻害せんとするものが反動になる。私が反動と言つたのは、そういう戰犯分子であるということは明瞭に言つておるのですから、これ以上のことは言うことはないのです。それから先はどうにでもしてください。
今何を言われたか、さつぱりわからないのです。
今言われた意味がどうも抽象的でわからないのですけれども、私が今解釈してお答えするなら、ブルジヨア新聞とはああいうように事実を歪曲して書くものであるが、ソビエトにおける新聞というものは、実際人民の生活をゆたかにし、文化的にして、実際のことを掲げる新聞である、こう言うことが言えると思います。
ちよつと三分間考えさせてください。——今申し上げましたように、真実を書くということが組織あるいぼ宣伝、教師であるというように理解されるのならそれでもいいと思いますが、私はそれに対してはどうお答えしていいかはつきりわかりません。
いまさつき申し上げた通り、日本新聞は奴隷兵士をりつぱな民主的な人に、文化人にするというのが目的であります。
それは、解釈されることはどのように解釈されようが、われわれは今言つたように、再び戰争を起さないように、そうして人民を抑圧したり搾取したりしない平和な日本をつくろうということです。
それは私にはわかりませんが、とにかくいまさつき申し上げたように、非常に喜ばれて読まれたということだけははつきり言えると思います。
私はきようこの嚴粛な証人台に立ちまして、偽証であるとかなんとかいつて、真実を述べんとする言葉がずいぶん歪曲されて理解されたということに対して、非常に精神的な圧迫を受けた。私自身、菅君と同じようにしばしば精神的な混乱に陥つた。こういうことをやられるから、人民の言論が抑圧され、事実が歪曲され、菅君に対しては非常に気の毒だと思う。
それはこういう意味なんです。私の言わんとしたことは不十分であつたかもしれませんが、要するに私たちは、帰国はソビエト政府と占領軍司令部との相互の協定によつて行われるものである。だから遅れたか遅れないか、それはマツカーサー司令部とモスクワの政府に聞かなければわからない、こう申し上げたわけであります。何もポツダム宣言に基いて云々というのではない。それは私にはわからないのであります。
米ソの協定によつて輸送が行われているのだから、私たちは遅れたか遅れないかそういうことはわからない。何を基準にして遅れたのか遅れないのか、そういうことはわからない。
私は今申し上げた通りです。私の例を言えば、舞鶴へ上ります船の中でこういうことがあつた。それは、復員業務に関係のあること以外ソビエトの軍事施設がどうであるとか、あるいは飛行場だとか、戰車の数だとか、そういうものを書かなければあげないというので、まず船から上陸することが一日遅れました。それからさらに翻訳室だとかいろいろなところへ連れて行かれて、私は不当に監禁されて、そのために、舞鶴において一日くらいで済むのが三日も四日もかかりました。そうしてそれに正しく答えないというので不法にもMPがつき、私が承諾しないにもかかわらず、GHQですか、あそこに連れて行つて二十日間も置かれたわけです。私はかようにして日本へ帰つてから約一箇月も、何のためにど
この数も、三十七万だとかなんだとかいろいろ言われておりますが、基準についてはわかりません。私たちの狭い範囲内で知つている限りでは、大体昨年の暮れまでに一般の者は帰つて、戰犯容疑者あるいは何らかの形での戰犯者以外の者は、現在はもういないのではないか、そのように考えております。ついでに数の問題が出たのでお答えしたいと思いますが、これは私、昨年の十二月二十三日参議院の証人喚問のときにもお答えしたのですが、三十七万というと、関東軍の大体半分くらいと理解してよいと思うのですが、私の村でも現在帰らない者はほとんどいない。この間四谷区で引揚者の座談会がありましたとき、私未帰還者の数を調べたのですが、それでもせいぜい二、三十名であつた。そういうこと