全体については今申し上げた通りわからない。ただ十六地区内においては、私が帰るときは五千五、六百、しかも十六地区はほとんど主要な戰犯の集まつた所だつたのですが、その中からさらにことしになつて二回帰つていますし、あとからも帰るようでありますから、残つておつても数千名内外じやないか、私はそのように考えます。
全体については今申し上げた通りわからない。ただ十六地区内においては、私が帰るときは五千五、六百、しかも十六地区はほとんど主要な戰犯の集まつた所だつたのですが、その中からさらにことしになつて二回帰つていますし、あとからも帰るようでありますから、残つておつても数千名内外じやないか、私はそのように考えます。
シベリア全部でせいぜい数千名じやないか、そのように理解しております。
向うでは死亡したら三通ないし五通くらいの死亡診断書がとられて、日本の軍医も立ち会つてはつきりとしまわれているという事実をわれわれは知つております。ですから、全部のいろいろなあれが終つたらはつきりソ連の方から発表するのではないか、かように私は考えているので、どうかこうかということについては私は知りません。
今の委員の方にお答えしますが、それは日本新聞に転載されてわれわれは見るわけであります。
われわれはそれは見ておりません。
それは普通の新聞社があつて、それが宣伝、こういうように考えられると違うと思います。新聞社の一角に宣伝部というのが別にありまして、映画を持つて来たり、新聞の解説をしたり、そういう仕事をやるのであります。ですから私自身が宣伝部長で、すぐその編集に参加する。そういうことはないわけです。
わかりません。
十六地区内ではそういうことはなかつたと思います。
それは私の記憶では日本語が一つ、英語が一つ、ソビエト語か一つ、合計三つあつたように記憶しております。
それは間違いありません。
捕虜通信、それからそのほかのものでも、必ず三つの判があるということ、それ以外のものはないはずです。
署名をしたから、優遇するとか何とかいうことではありません。
その通りでございます。
そうでございます。
感謝文に署名した者が優遇されたというようには、私は……。
そうです。
そうです。
そうでございます。
ええ。
先ほど申し上げましたように、入ソ後も帯劔将校で、われわれは軍事捕虜ではなく、一時停戰協定で出来ておるのだ。だから日本に帰るまでは、われわれは天皇の命ぜられた軍隊のままで行かなければいけないのだ。そうして麻雀をやり、碁や将棋をやり、暖いところで当番をつけて、ごちそうをたらふく食つて、そういう生活を大部分の将校がやつておつたわけですが、そういうことが悪いと目ざめて、そうして民主運動に入つて来られた将校もたくさんわれわれは知つおります。関東軍の暗号班長をやつておつた吉田広大尉、あるいは真岡の海軍武官府ですか、あそこにおつた大平少佐とか、それから自動車隊をやつておつた師崎という大尉とか、こういうりつぱな将校もたくさんあつて、われわれと一緒に