当時自分は、今申し上げたように新聞編集には関係ないので、非常に帰還のために忙しかつたし、どういう論文が載つておつたか、大体党創立記念日に論文が載つたということは考えられるのですが、どういう内容であるかということは現在記憶にありません。
当時自分は、今申し上げたように新聞編集には関係ないので、非常に帰還のために忙しかつたし、どういう論文が載つておつたか、大体党創立記念日に論文が載つたということは考えられるのですが、どういう内容であるかということは現在記憶にありません。
何分これは字が小さくて見えない。
記憶にありません。
そのとき、私は申し上げたように、四九年ですから、新聞の指導期ではないのです。だから記憶にないのです。 〔「立つて言え」と呼ぶ者あり〕
立つて言えと言うようですから、——私は四七年の暮れに新聞社を出まして、十六地区の反フアシスト委員会の方に関係しておりました。ですから新聞にどういう論説が載つたか——今写真を見て思い出したのですが、党創立記念日のときに論文が載つたという記憶はあるのですが、その内容については現在記憶にありません。
それは書いた人の主観でありまして、私がどう考えるかというて、私は何も徳田さんにそういうことを宣誓するあれも何もありませんし、わからない。
今申し上げたように、どういう内容が書かれておつたかも記憶にないようなことですから、それに対してどういうぐあいに考えたか述べよと言つても、それは非常に困難な問題だ。
思い出せません。
何も記憶にございませんし、思い当ることはございません。
プロレタリア的な勇気と革命的な人生観の徹底という見出しは今思い出しましたが、その内容に至つては記憶にありません。
ハタの記事がアカハタの転載というので載つておつたように記憶しておるのですけれども、その点はつきりとしたあれを持つておりません。
それを転載されたように……。
アカハタから転載したことだけは覚えております。
それは自分の記憶では、アカハタの記事は帰つて来られたこちらにおる者の活動を批判せられておつた論文のように考えます。ですから党に入つおる者がいろいろな偏向があつて、それを野坂さんが批判せられた。あとでそれを日本新聞に転載して参考にしたのだ、このように私たちは考えております。日本の問題です。さらに向うで共産党に入るということは、それはやはり共産党の原則から言つても向うでは入れない。われわれ軍事捕虜で向うへ行つておつたのですから、こつちへ帰つてから組織へ入るか入らないかは……。
もう一ぺん主要なところを読んでください。
これはさつきも申し上げたように、党創立記念日を迎えるにあたつての、日本新聞のこの論説を書かれた人の決意であつて、それが全体にどうであるかということは言えないと思います。私自身としては、日本新聞がアカハタに引継ぐかどうかということは、全然わからないのです。
それは自分には今申し上げた通りわかりません。
高山が帰つて来てからは、その論文を書かれた人が、そういうふうに考えるというので書かれたのだろうと思います。私は別にそのようには考えていないのです。入党は各人の自由意思でありますから、入党する者もありますし、日の丸梯団で帰る者もありますから、その新聞の受取り方によつて違うと思います。その新聞の社説は、その書かれた人の主観によつて書かれておると思いますから、それはいろいろ違うと思います。私もそれをどうこうということは、現在のところわからないのです。
水原君の記事が載つておることだけは記憶しております。
感謝署名運動はさきにも申し上げたように、みなの自由意思で、決して強制したり何かすることなく、自由意思でやつて行けというので、十六地区でも経験があるのですが、ほとんど大佐、中佐、少佐というのがぜひ署名させてくれ、われわれはあくまで強制さしたというような感じがいささかでもあつてはいけないからというので、この点愼重を期して、あくまで自由意思の原則だからというので、とにかく特に戰犯、細菌戰の非人道的な行為をやつた者だとか、特務機関長だとか、憲兵隊の大佐だとか、十六地区におつた者はだれでも知つているのですが、ぜひこれに署名させてくれと言つて手を合せて拝んで来るような状態であつた。それによつて自分の過去を合理化せんとする卑屈な彼らの考えなんです